うなふうに見えたのも短命の人だったからだね」
「たしか十九におなりになったのでございましょう。私は奥様のもう一人のほうの乳母の忘れ形見でございましたので、三位《さんみ》様がかわいがってくださいまして、お嬢様といっしょに育ててくださいましたものでございます。そんなことを思いますと、あの方のお亡《な》くなりになりましたあとで、平気でよくも生きているものだと恥ずかしくなるのでございます。弱々しいあの方をただ一人のたよりになる御主人と思って右近は参りました」
「弱々しい女が私はいちばん好きだ。自分が賢くないせいか、あまり聡明《そうめい》で、人の感情に動かされないような女はいやなものだ。どうかすれば人の誘惑にもかかりそうな人でありながら、さすがに慎《つつ》ましくて恋人になった男に全生命を任せているというような人が私は好きで、おとなしいそうした人を自分の思うように教えて成長させていければよいと思う」
 源氏がこう言うと、
「そのお好みには遠いように思われません方の、お亡《かく》れになったことが残念で」
 と右近は言いながら泣いていた。空は曇って冷ややかな風が通っていた。
 寂しそうに見えた源氏は、

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見し人の煙を雲とながむれば夕《ゆふべ》の空もむつまじきかな
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 と独言《ひとりごと》のように言っていても、返しの歌は言い出されないで、右近は、こんな時に二人そろっておいでになったらという思いで胸の詰まる気がした。源氏はうるさかった砧《きぬた》の音を思い出してもその夜が恋しくて、「八月九月|正長夜《まさにながきよ》、千声万声《せんせいばんせい》無止時《やむときなし》」と歌っていた。
 今も伊予介《いよのすけ》の家の小君《こぎみ》は時々源氏の所へ行ったが、以前のように源氏から手紙を託されて来るようなことがなかった。自分の冷淡さに懲りておしまいになったのかと思って、空蝉《うつせみ》は心苦しかったが、源氏の病気をしていることを聞いた時にはさすがに歎《なげ》かれた。それに良人《おっと》の任国へ伴われる日が近づいてくるのも心細くて、自分を忘れておしまいになったかと試みる気で、
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このごろの御様子を承り、お案じ申し上げてはおりますが、それを私がどうしてお知らせすることができましょう。

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問はぬをもなどかと問はで程ふるにいかばかりかは思ひ乱るる

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苦しかるらん君よりもわれぞ益田《ますだ》のいける甲斐《かひ》なきという歌が思われます。
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 こんな手紙を書いた。
 思いがけぬあちらからの手紙を見て源氏は珍しくもうれしくも思った。この人を思う熱情も決して醒《さ》めていたのではないのである。
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生きがいがないとはだれが言いたい言葉でしょう。

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うつせみの世はうきものと知りにしをまた言の葉にかかる命よ

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はかないことです。
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 病後の慄《ふる》えの見える手で乱れ書きをした消息は美しかった。蝉《せみ》の脱殻《ぬけがら》が忘れずに歌われてあるのを、女は気の毒にも思い、うれしくも思えた。こんなふうに手紙などでは好意を見せながらも、これより深い交渉に進もうという意思は空蝉になかった。理解のある優しい女であったという思い出だけは源氏の心に留めておきたいと願っているのである。もう一人の女は蔵人《くろうど》少将と結婚したという噂《うわさ》を源氏は聞いた。それはおかしい、処女でない新妻を少将はどう思うだろうと、その良人《おっと》に同情もされたし、またあの空蝉の継娘《ままむすめ》はどんな気持ちでいるのだろうと、それも知りたさに小君を使いにして手紙を送った。
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死ぬほど煩悶《はんもん》している私の心はわかりますか。

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ほのかにも軒ばの荻《をぎ》をむすばずば露のかごとを何にかけまし
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 その手紙を枝の長い荻《おぎ》につけて、そっと見せるようにとは言ったが、源氏の内心では粗相《そそう》して少将に見つかった時、妻の以前の情人の自分であることを知ったら、その人の気持ちは慰められるであろうという高ぶった考えもあった。しかし小君は少将の来ていないひまをみて手紙の添った荻の枝を女に見せたのである。恨めしい人ではあるが自分を思い出して情人らしい手紙を送って来た点では憎くも女は思わなかった。悪い歌でも早いのが取柄《とりえ》であろうと書いて小君に返事を渡した。

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ほのめかす風につけても下荻《したをぎ》の半《なかば》は霜にむすぼほれつつ
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