。召されることがあまり続くころは、打ち橋とか通い廊下のある戸口とかに意地の悪い仕掛けがされて、送り迎えをする女房たちの着物の裾《すそ》が一度でいたんでしまうようなことがあったりする。またある時はどうしてもそこを通らねばならぬ廊下の戸に錠がさされてあったり、そこが通れねばこちらを行くはずの御殿の人どうしが言い合わせて、桐壺の更衣の通り路《みち》をなくして辱《はずか》しめるようなことなどもしばしばあった。数え切れぬほどの苦しみを受けて、更衣が心をめいらせているのを御覧になると帝はいっそう憐《あわ》れを多くお加えになって、清涼殿《せいりょうでん》に続いた後涼殿《こうりょうでん》に住んでいた更衣をほかへお移しになって桐壺の更衣へ休息室としてお与えになった。移された人の恨みはどの後宮《こうきゅう》よりもまた深くなった。
 第二の皇子が三歳におなりになった時に袴着《はかまぎ》の式が行なわれた。前にあった第一の皇子のその式に劣らぬような派手《はで》な準備の費用が宮廷から支出された。それにつけても世間はいろいろに批評をしたが、成長されるこの皇子の美貌《びぼう》と聡明《そうめい》さとが類のないものであっ
前へ 次へ
全36ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング