自分の出来ることの中で一番いい仕事をしなければならないと思ひます。」
「十五になると大分理屈が解《わか》るね。」
お近はかう云つて久吉の方を見ました。
「姉さんはえらいや。僕なんかは学校を出たら百姓になるのが一番いいことだと思つて居た。」
と久吉は云ひました。
「お幸は百姓をどう思ふの。」
「まだそれは考へません。」
「それを考へないことがあるものですか。母様《かあさん》が若し間違つたことをして居たらおまへは注意をしてくれなければならないぢやないの。母様《かあさん》のして居ることは百姓ですよ。私《わたし》は世の中へ迷惑をかけないで暮して行くと云ふことが世の中の為《た》めだと思つて居るよ。自身で食べる物を作つて私は自分やおまへ達の着物を織つて居ます。自分の出来ないものは仕事の賃金に代へて貰つて来ると云ふこの暮しやうが私には先《ま》づ一番間違ひのない暮しやうだと思つて居るよ。」
お近のこの話をお幸は両手を膝《ひざ》の上で組合せてうやうやしく聞いて居ましたが。顔を上げて、
「母さん、田や畑はもう少し余計に貸して貰へるのですか。」と言ひました。
「小作人が少くて困つて居るのですもの、貸して呉《く》れますとも。」
「髪を切つてお芝居のやうなことをするよりも私《わたし》のすることは、母様《かあさん》、あつたのですよ。」
「何のことですか。」
「野仕事です。百姓です。」
「さうかね。おまへが郵便局へ行きたいと云ふから、私《わたし》は男になつたりなどしないで、局長に逢《あ》つて女の儘《まま》で、採用《つか》つて貰ふことを一生懸命ですればいいと思つて居たよ。私には百姓がいいと云つただけで、おまへを百姓にしようと思つて居るのぢやないよ。」とお近は言ひました。
「姉さん百姓におなりよ。三人で百姓をすると決めませうよ。」と久吉は云ふのでした。
「私《わたし》は何でも出来ますが百姓でも出来ます。」
「それではなつて見るがいいよ。ねえお幸、今日|角造《かくざう》さんに聞くと三本松の家を山仁《やまに》さんはまた堺の商人へ売るさうだよ。私《わたし》はそれがいいと思つて居るよ。おまへ達は知らないがそれはそれは無駄に広い家なんだからね。あれを真実《ほんたう》に人間仲間の役に立てようと思ふなら大勢の使ふものにしなければならないのだからね。堺へ持つて行つて幾つかの家に分けて拵へたらいいだらうよ。併《しか》し建物に立派な宝物になる価値《ねぶみ》のあるものは別だけれど。」とお近は云ひました。
「さうなつたらあの丘へ自由に上《あが》れますね。いいなあ。」と久吉は云ひました。三人は幸福であることを感じて居ました。
底本:「日本児童文学大系 第六巻」ほるぷ出版
1978(昭和53)年11月30日初刷発行
1979(昭和54)年4月1日2刷発行
底本の親本:「少女の友」実業之日本社
1918(大正7)年10月
初出:「少女の友」実業之日本社
1918(大正7)年10月
入力:田中敬三
校正:鈴木厚司
2006年9月12日作成
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