更けた上に此の世間ばなれのした河上の月光の下で誰も皆おとなしい。数人の芸妓達も皆上品にしてゐる。昼と違つて濁つた水が見えず、両岸の建築物と川幅とがテエムスの河口を聯想させない事もない。言問橋を初め新しく架つた多くの鉄橋が、夜目に見て聞いて居た程醜い形でもない。紅黄青白の灯光の倒影も高い建築物と共に異国的である。画家や詩人ばかりであるだけ、芸術的な談話は※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ニスや巴里に及んだ。誰も江戸情調の失はれて行く隅田川を嘆かなかつた。柳橋の亀清が屋根一ぱいに電灯装飾をしてゐるのも不自然でなく、月もまた是等の水の街に適して新しい情調を漂はせてゐる。唯だ隅田川はセエヌ川でないから、永代橋まで来て、今夜の落潮に船を繋いで上陸する階段の設備がないのに困つた。やつと中川さんが親しい料理店「都川」の裏の桟橋を見附けて其処から匐ひ上り、主婦の既に寝てゐたのを呼び起し、座敷の横の廊下を通り抜けて、皆が主婦に礼を述べながら門を出るのであつた。午前一時半に郊外の宅へ帰り著くと、木立と壁を照してゐる月は異国的な隅田川の其れでなくて、やはり田舎びた村芝居の月であつた。



底本:「日本の名随筆58 月」作品社
   1987(昭和62)年8月25日第1刷発行
底本の親本:「定本 與謝野晶子全集 第二〇巻」講談社
   1981(昭和56)年4月
入力:土屋隆
校正:門田裕志
2006年9月21日作成
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