どは却てかう云ふ陰気な小屋で演じたら似合ふでせう」と云はれる。良人が鼻の欠けた女に聞いた所では、役者は浅草の公園劇場と映画俳優との下廻りであると云ふ。また此の小屋は其女の主人が五日間百五十円で座元に貸してゐるので、毎晩の木戸銭から其女が小屋代を厳重に差引いて帰る。此の小屋は一夜に参百人以上の客がないと小屋代さへ払へない。それが昨晩は八十人しか入らなかつた。此分では座元は非常な損で、屹度役者衆は弁当代も貰へまいと云ふ。其中に三十人程の客が集つたのでやつと幕があいた。何と云ふ芸題か知らぬが大五郎と云ふ主人公の活躍する侠客物である。映画劇に由つた物と見えて筋が早く簡単に運んで行く。大五郎に扮する座頭の外は科白も科《しぐさ》も間に合せである。科白の中に「お客様がただのお神楽ばかりを観て此処へは来ない」と云ふやうなあてこすりが交る。役者は案外真面目に演じてゐるが、著附も隈取も科白も総てが吹き出したくなる事ばかりである。二幕が終る頃に客は八十人程になつてゐた。併し私達のやうな市内からの移住者は一人もゐない。すべてが農民と土地の町人達とである。悲劇だけに泣いてゐる女達も少くない。私達だけ笑つてゐる事が済まないやうに思はれたので、後の幕を見ずに帰つた。外へ出ると明るい月光の下に人通も無く郊外の町がひつそりとしてゐる。役者達があれだけ働いて給銀の貰へないのを思ふと、この月光さへうら寒く感ぜられたが、併し猶芝居の馬鹿馬鹿しかつたことを思出して笑はずにゐられなかつた。
 それから数日して、昨晩はたまたま面白い月見をした。高島屋から其店の秋の「百選会」の新しい織物を批評して欲しいと望まれたので、私達夫婦は和田英作、山下新太郎、新居格、梅原龍三郎、中川紀元、堀口大学の諸家と、向島の水神の八百松へ午後四時から集つたのであつた。店の支配人小瀬氏を初め店員達が持参して陳列された織物の代表的な新作を諸家と一所に批評し終つたのは夜の十一時半。筆を擱いて気が附くと月が高く昇つて川を照している。宵に見た船の行き交ひも絶えて、対岸は光を帯びた霧にぼかされてゐる。帰路のために準備された発動機の遊船が迎へに来たので「八百松」と朱で書いた大きな名物の提灯と主婦や仲居達に見送られて、裏口から其れに乗つた。「江戸とまでは遡らずとも正に明治廿五六年頃の情景である」と良人が云ふ。批評会でお饒舌《しやべり》した一行も、夜の
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