のがあります。或婦人雑誌に法学博士|三潴信三《みつましんぞう》氏が婦人職業問題に反対して「欧米において婦人が何々の職業を与えられているからというが如き単なる理由の下に、婦人の職業を徒《いたず》らに奨励するが如きは、家族主義の我国としては破壊的の考えといわねばなりません。……婦人が進んで家庭から離れようとする如き考えは決して健全なものと思われません」といわれた如きは、博士こそ余りに「単なる理由」の下に軽率なる断案を下されたもので、博士は我国の女工八十万の家庭事情が経済的と倫理的の両方面から、彼らを職業婦人たらしめねば置かないという重要な理由を看過しておられるのです。彼らにしてもし工場労働者とならなかったら、餓死するか醜業婦となって堕落するかの外に道はないでしょう。
三潴博士のお説で更に笑うべきは「外国の事柄を借らずともよい」という単なる理由から、西洋音楽を排斥し、サンタクロスの代りに大黒様の名を挙げ、家庭においてパパとかママとか呼ばせていることを攻撃し、正月の遊びにも西洋趣味の物でなくて東海道々中|双六《すごろく》を用いて欲しいと望んでおられる事です。日本音楽が西洋音楽に比べて非常に劣等な位地に停滞しているものである事は、新進の音楽学者|兼常清佐《かねつねきよすけ》氏の日本音楽論を読まれても解ることです。兼常氏は日本音楽を西洋音楽に勝るとするのは蝙蝠《こうもり》を見て飛行機より偉大であるとするに等しいといわれました。博士は外国の輸入物を嫌われることがまるでペスト菌にでも触れられるようですが、日本の法律が範を独逸に採っているのは勿論、古くは雲上の御称号の文字を始め、今日の三潴博士の姓氏の文字までが外国からの移植であって見れば、パパといい、ママというのも決して忌むべき理由はありません。博士はチチ(父)ハハ(母)という言葉を純粋の国産だと思っておられるのでしょうが、進歩した言語学ではそれが支那の古代語であることを証明しています。外国産の輸入を嫌っていると、古代人の尊重した鏡までが、日本で発明した「鈴鏡《れいきょう》」という鏡を除く以外は、すべて支那へ返さねばならない事になるでしょう。三潴博士のお説は一笑に附し去っても好いようですが、これを突き詰めて行くと、博士のお考とは反対に、古来の日本文明を破壊すると共に、新しい日本文明の建設を阻害する結果となるのを遺憾に思います。これ
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