のはありません。顔さえも個別的の特色を備えて真実の意味にて瓜二《うりふた》つというものはないのに、まして、刻々に移動する思想は、個人の自発的なものほど個性の色彩が著しく、たとい他人の思想を受け容れたものでも第二の個性に由って着色され変形されないものはないのですから、万人万様の思想が存在するのは当然の事で、それらの思想が拮抗《きっこう》し、比較し、補正し、助長し合って存在してこそ、人類の思想は自浄作用の中に深化と進歩とを遂げるのであると思います。昔から宗教、学問、芸術のいずれでも官営の一種に決ってしまえば、いずれもその本質の腐敗を招かないものはありません。堂上の和歌、聖堂の朱子学《しゅしがく》、ロダンが罵《ののし》った仏蘭西《フランス》院体派の芸術、その実例はいくらでもあります。殊に官営の宜しくない事はその官権を以て反対の思想を暴力的に圧伏することです。思想の自由を奪うに至っては思想の統一でも尊重でもなく、反対に思想そのものの発展を願わない者のする残忍不法な行為です。
思想は統一されるものでない。兵隊の数に応じて同じ帽を被《かぶ》らせ得るように、人類をして均一に同じ思想を持たせ得るものでない。同じ思想に停滞したり囚えられたりしないで、勝手に優れたものであると自認する新しい思想を提供してこそ、世界人類の創造的進化に参加して各人が実力相応の貢献を為し得るのであると思います。思想が一種に固定してしまったら世界は化石状態となって、人類は自我発展の余地がなくなり、何の生き甲斐《がい》もない退屈な中に退化し自滅し去らねばならないでしょう。
それよりも、今日において、何人《なんぴと》も互に自ら注意すべきことは、思想の統一というような閑問題でなく、この戦後に発生する雑多な思想の混乱激動の中を安全に乗り切ろうとするのに、その雑多な思想のいずれをも観察し、批判する事を怠《おこた》らず、それがたとい外観上如何に険峻なものに見えようとも、また温健なるものに見えようとも、必ずその内容の純正か否かを透察し、それを自分の思想の養料として採用することだと思います。生活の理想は他人の指導に盲従してはならない。必ず自分の批判を経て全く自分の思想となったものを信頼せねばなりません。ウィルソンの唱える新理想主義にしても、私はそれの雷同者の俄《にわか》に多いことを頼もしげなく思います。戦争で独逸《ドイツ》
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