進歩が停滞しているでしょうか。私はこの点にも日本の教育が他の社会から孤立していることを悲みます。明治大正の文学者の努力は、前代になかったところの非常に優れた口語体の文章を創造しています。国語教育は、どうしてそれらの最も進歩した現代の溌溂《はつらつ》たる国語と協力する所がないのでしょうか。私は現代の進歩した国語と離れて存在し得べき真の国語教育はなかろうと考えます。
殊に私の不快に思うことは、読本に挿まれた長い詩や唱歌が(昭憲皇后の御製は別として)口語体のも、文章体のも、すべて詩歌としての価値を持っていない事です。散文が既に悪文であるのに、更に一層拙悪野卑な散文の横書きを以て詩歌の名を僭しているのです。我国の伝統的精神を尊重するなら、前代の文学に現れた優雅な国民性をこういう所に細心に発揮して欲しいと思います。明治大正の新しい詩歌に未成品が多いとはいえ、それらの読本にある詩歌よりどれだけ高く真の芸術品となっているか知れません。
一体に文部省が現代の国語学者を文学者のように誤解しているのが宜しくないと思います。国語読本の編纂《へんさん》に専門の詩人や文学者を除外しているために、こういう粗野な読本が出来上り、これに依って国民の感情教育が非常に退化させられていると思います。私はこの見地から、国語読本や修身読本の国民化を望み、現代の国民的文学者をその編纂に参加させて、完全なる口語体を以て統一的に改修して頂くことを中橋文相に御相談します。(一九一九年四月二十五日)
[#地より1字上げ](『中央公論』一九一九年五月)
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年8月16日初版発行
1994(平成6年)年6月6日10刷発行
底本の親本:「激動の中を行く」アルス
1919(大正8)年8月初版発行
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志
2002年5月14日作成
青空文庫ファイル:
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