まつりび》であつたその夕方に、綺麗に装《よそほ》はれた街の幼い男女《なんによ》は並木の間々《あひだ/\》で鬼ごつこや何やと幾団《いくだん》にもなつて遊んで居ました。その子等の絶えず口占《くちずさみ》のやうにしト云つて居ますことは、二字三字活字になつて本の中に交つても発売禁止を免れることの出来ないやうな言語なのです。そればかりなのです。恐《おそろ》しい都、悲しい都、早熟な人間の居る南洋の何やら島《じま》の子も五つ六つで斯《か》うなのであらうかと、私は青ざめて立つて居ました。性欲教育と云ふことはその子等の親達には考へるべき問題でないでせうが、私等のためには重大なことなのです。よく考へて遣つて下さいな。
光《ひかる》のことを思つて居ますうちに、私の心は四郎のことを少し云はないでは居られないやうになりました。私は四郎の生立《おひたち》をよう見ないのでせうか。五つ六つ、七八《なヽや》つで母親を亡くした人を見ては、光《ひかる》もああなるのではあるまいかと運命を恐れながら漸《やうや》く十三歳《じうさん》に迄なるのを見ました。四郎は二歳《ふたつ》ではありませんか、光《ひかる》と同じ顔をした同じやうな性質を持つて生れた四郎を、私はどうかするともう十三歳《じうさん》に迄してあると云ふやうな誤つた安心を持つて見て居なかつたでせうか。四郎が二歳《ふたつ》であることを思ふと私は死なれない、死にともない。
雑記帳は唯《た》だこればかしでもう白い処《ところ》がなくなりました。後《あと》を書いて置くかどうか、よく解りません。[#地付きで](完)
底本:「読売新聞」読売新聞社
1914(大正3)年10月11日〜23日(全10回連載)
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。(旧字を新字にあらためましたが、旧仮名づかいには変更を加えませんでした。総ルビをパラルビにあらためました。)
※「井」は「ウイ」、「こと」の変体仮名は「こと」、二の字点は「ヽ」にそれぞれ書き換えました。(一般には、片仮名用の繰り返し記号として用いられる「ヽ」が、底本では平仮名のルビにも使用されていることを踏まえ、二の字点の代替には「ヽ」を用いました。)
※底本は「入る」に「《はい》る」とルビを振っていましたが、「《はひ》る」としました。
※本作品中
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