まじく、東京のせん湯に入りつけてはと母には申して、子らつれておあし持ちて横町の湯へまゐれば、見知れるらしき人ありて眼をそばだて候。椿《つばき》の葉にて私のをさなき時に乳母がせしやう光《ひかる》に草履《ぞうり》つくりてやりたくと、彼の家の庭をあやにくや見たうも/\思へど、私はゆかず候。かしこの土蔵には弟どう思ひてか出立の前に、私のちひさき時よりの本と自分のと別々にしらべてまとめおき候よし、さ聞きて俄《にわ》かにその本こひしく、お祖母《ばあ》様の手垢《てあか》父の手垢のうへに私の手垢つきしかず/\、また妹と朱など加へし『柵草紙《しがらみそうし》』のたぐひ、都へも引きとらまほしく、母ゆるさば、父のいつもおもかげうつし給ひし大きな姿見《すがたみ》もろとも、蒲団《ふとん》になとくるませて通運に出さすべく候。
母ます/\文学狂になり候て、よべも歌の話いろ/\と致し、君の祭見る日の下加茂《しもがも》の橋はつまらずと申し、大井川濃き緋《ひ》の帯のいくたりの鼓拍子に船は離れぬは、かしこの景色すきなるものから、それはよしと喜びていくたびも口ずさみ候。また松田などや申し候ひけむ、山の人とはきつとおえらき人なるべし、物言ひのてきはきして心の奥にかげなきは、江戸のお生れの人かと申し候ゆゑ、あれは緑雨《りよくう》様や宅のお友達、数学の天才にて、こちらの朝日の角田様も古く知り給ふ方《かた》、当節は文学を専門になさる人たちよりも、かやうな学問のちがひし人様の方々に、まことのおえらき人あるなりと申し候へば、いつの世でも大抵はさうと、母たいさう知つたかぶりな顔を致し候。
庭のコスモス咲き出で候はば、私帰るまであまりお摘《つ》みなされずにお残し下されたく、軒の朝顔かれ/″\の見ぐるしきも、何卒《なにとぞ》帰る日まで苅《か》りとらせずにお置きねがひあげ候。
あす天気よろしくば、光に堺の浜みせてやれと母申して寐たまひ候。
[#下げて、地より1字あきで](『明星』一九〇四年一一月)
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年8月16日初版発行
1994(平成6)年6月6日10刷発行
初出:「明星」新詩社
1904(明治37)年11月号
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志
2002年1月10日公開
青空文庫ファイル:
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