も、詰らない男子の下風に立たせられているという有様ですから、女子自らその人間性を鍛え出す機会をも失っているのです。

       *

 論者はまた言うでしょう、子供を生みかつ育てることは女子でなくては出来ない。従って「女らしさ」の主要条件は母となることである。しかるに女子解放運動は、女子をしてその母性を失わしめるから宜《よろし》くない。新しい女子は母たることを回避すると。
 私はこれに対しても、その母となるということが「女らしさ」という言葉で尽すべきものでないことを述べて、第一に訂正したいと思います。
 如何にも、女子でなければ妊娠することの出来ないのは事実ですが、これがために生殖のことは女子の独占であると思っては間違いです。妊娠ということが男子の協力に待たねばならないのを初めとして、子供を養育するにも、教育するにも、父と母との両者の愛、両者の聡明、両者の労力を合せることが必要です。従来は余りに父性が等閑にされていましたから、母性に不当の重荷を課して、生殖生活は女子のみの任務のように誤解して来ましたが、この事もまた男女に共通した「人間的活動」です。形に現れた所の相異を見て、男子には軽微で、女子には重大な任務であると速断してなりません。人の親になることは、両者に取って共に重大な任務であるのです。
 従って生殖の生活を母性にのみ帰してしまって、「女らしさ」の主要条件とするのは不当です、形と作用の上において父と母とに分れていても、親としての精神は男女同一であって、ひとしく人間性の表現ですから、一方に偏した「女らしさ」という言葉を以て評価すべきでなく、両者を統一した「人間性の表現」もしくは「人間的活動」という言葉を以て称すべきものと思います。

       *

 次に女子解放運動が、女子をして、その母性を失わしめると論じるのも理由のないことで、事実を離れた、一種の杞憂《きゆう》です。それは女子が数千年来の奴隷的位地を脱して、独立した一個の人格として、あらゆる「人間的活動」を完成しようとする自己改革の運動ですから、生殖の生活に対しても、これを回避するどころか、反対に、愛と聡明と勇気とに満ちた、より完全な母となることを熱望しているのです。
 論者は「母性を失う」というような言葉を無思慮に用いられるようですけれども、親となることの欲求は、固《もと》より人間の内部に備ってい
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