第三の幽霊 そりや大きにさうかも知れない。しかし僕は今夜という今夜、始めて死に甲斐を感じたね。
第二の幽霊 (冷笑《ひやか》すやうに。)君の全集でも出来るのかい?
第三の幽霊 いや、全集は出来ないがね。兎《と》に角《かく》後代《こうだい》に僕の名前が、伝はる事だけは確《たしか》になつたよ。
第二の幽霊 (疑はしさうに。)へええ。
第一の幽霊 (喜《よろこば》しさうに。)本当かい?
第三の幽霊 本当とも。まあ、これを見てくれ給へ。(書物を一冊出して見せる。)これは今日《けふ》出来た本だがね。この本の中に僕の事が、ちやんと五六行書いてあるのだ。どうだい? これぢやいくら幽霊でも、はしやぎまはらずにはゐられないぢやないか?
第二の幽霊 ちよいと借してくれ給へ。(一生懸命に頁《ページ》をはぐる。)僕の名前は出てゐないかしら?
第一の幽霊 名前|位《くらゐ》は出てゐるだらう。僕のも次手《ついで》に見てくれ給へ。
第三の幽霊 (得意さうに独り言《ごと》を云ふ。)おれもとうとう不朽《ふきう》になつたのだ。サント・ブウヴやテエヌのやうに。――不朽と云ふ事も悪いものぢやないな。
第二の幽霊 (第一の幽霊に。)[#底本ではここに句点]どうも君の名は見えないやうだよ。
第一の幽霊 君の名も見えないやうだね。
第二の幽霊 (第三の幽霊に。)君の事は何処《どこ》に書いてあるのだ?
第三の幽霊 索引《さくいん》を見給へ。索引を。××××と云ふ所を引けば好《い》いのだ。
第二の幽霊 成程《なるほど》、此処《ここ》に書いてある。「当時|数《かず》の多かつた批評家中、永久に記憶さるべきものは、××××と云ふ論客である。……」
第三の幽霊 まあ、ざつとそんな調子さ。其処《そこ》まで読めば沢山《たくさん》だよ。
第二の幽霊 次手《ついで》にもう少し読ませ給へ。「勿論彼は如何《いか》なる点でも、毛頭《まうとう》才能ある批評家ではない。……」
第一の幽霊 (満足さうに。)それから?
第二の幽霊 (読み続ける。)「しかし彼は不朽になるべき、十分な理由を持つてゐる。……」
第三の幽霊 もうそれだけにして置き給へ。僕はちよいと行《ゆ》く所があるから。
第二の幽霊 まあ、しまひまで読ませ給へ。(愈《いよいよ》大声に。)「何《なに》となれば彼は――」
第三の幽霊 ぢや僕は失敬する。
第一の幽霊 そんなに急がなくつても好《い》いぢやないか?
第二の幽霊 もうたつた一行だよ。「何となれば彼は終始《しゆうし》一貫――」
第三の幽霊 (やけ気味に。)ぢや勝手に読み給へ。左様《さよう》なら。(燐火と共に消える。)
第一の幽霊 何《なん》だつてあんなに慌てたのだらう?
第二の幽霊 慌てる筈さ。まあ、これを聞[#「聞」は底本では「闇」]き給へ。[#底本ではここで改行、次行の始めかぎ括弧は天ツキ]「何となれば彼は終始一貫、芥川竜之介《あくたがはりゆうのすけ》の小説が出ると、勇ましい悪口《あくこう》を云ひ続けた。……」
第一の幽霊 (笑ふ。)そんな事だらうと思つたよ。
第二の幽霊 不朽もかうなつちや禍《わざはひ》だね。(書物を抛《はふ》り出す。)
その音に主人が眼をさます。
主人 おや、棚の本が落ちたかしら。こりやまだ新しい本だが。
第二の幽霊 (わざと物凄い声をする。)それもぢきに古くなるぞ。
主人 (驚いたやうに。)誰だい、お前さんは?
第一の幽霊 (第二の幽霊に。)罪な事をするものぢやない。さあ、一しよに Hades へ帰らう。(消える。)
第二の幽霊 ちつとは僕の本も店へ置けよ。(消える。)
主人は呆気《あつけ》にとられてゐる。
[#地から1字上げ](大正十年十一月)
底本:「芥川龍之介作品集第三巻」昭和出版社
1965(昭和40)年12月20日発行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月26日公開
2004年3月6日修正
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