しょに、関山の方へ歩いて参りました。女は牟子《むし》を垂れて居りましたから、顔はわたしにはわかりません。見えたのはただ萩重《はぎがさ》ねらしい、衣《きぬ》の色ばかりでございます。馬は月毛《つきげ》の、――確か法師髪《ほうしがみ》の馬のようでございました。丈《たけ》でございますか? 丈は四寸《よき》もございましたか? ――何しろ沙門《しゃもん》の事でございますから、その辺ははっきり存じません。男は、――いえ、太刀《たち》も帯びて居《お》れば、弓矢も携《たずさ》えて居りました。殊に黒い塗《ぬ》り箙《えびら》へ、二十あまり征矢《そや》をさしたのは、ただ今でもはっきり覚えて居ります。
 あの男がかようになろうとは、夢にも思わずに居りましたが、真《まこと》に人間の命なぞは、如露亦如電《にょろやくにょでん》に違いございません。やれやれ、何とも申しようのない、気の毒な事を致しました。

     検非違使に問われたる放免《ほうめん》の物語

 わたしが搦《から》め取った男でございますか? これは確かに多襄丸《たじょうまる》と云う、名高い盗人《ぬすびと》でございます。もっともわたしが搦《から》め取った時には、馬から落ちたのでございましょう、粟田口《あわだぐち》の石橋《いしばし》の上に、うんうん呻《うな》って居りました。時刻でございますか? 時刻は昨夜《さくや》の初更《しょこう》頃でございます。いつぞやわたしが捉《とら》え損じた時にも、やはりこの紺《こん》の水干《すいかん》に、打出《うちだ》しの太刀《たち》を佩《は》いて居りました。ただ今はそのほかにも御覧の通り、弓矢の類さえ携《たずさ》えて居ります。さようでございますか? あの死骸の男が持っていたのも、――では人殺しを働いたのは、この多襄丸に違いございません。革《かわ》を巻いた弓、黒塗りの箙《えびら》、鷹《たか》の羽の征矢《そや》が十七本、――これは皆、あの男が持っていたものでございましょう。はい。馬もおっしゃる通り、法師髪《ほうしがみ》の月毛《つきげ》でございます。その畜生《ちくしょう》に落されるとは、何かの因縁《いんねん》に違いございません。それは石橋の少し先に、長い端綱《はづな》を引いたまま、路ばたの青芒《あおすすき》を食って居りました。
 この多襄丸《たじょうまる》と云うやつは、洛中《らくちゅう》に徘徊する盗人の中でも、女好
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