格子《てつがうし》の西洋窓の前に大きな紫檀《したん》の机を据ゑて、その上に硯《すずり》や筆立てが、紙絹《しけん》の類や法帖《ほふでふ》と一しよに、存外行儀よく並べてある。その窓を剰《あま》した南側の壁と向うの北側の壁とには、殆《ほとん》ど軸の挂《か》かつてゐなかつた事がない。蔵沢《ざうたく》の墨竹《ぼくちく》が黄興《くわうこう》の「文章千古事《ぶんしやうせんこのこと》」と挨拶をしてゐる事もある。木庵《もくあん》の「花開万国春《はなひらくばんこくのはる》」が呉昌蹟《ごしやうせき》の木蓮《もくれん》と鉢合《はちあわ》せをしてゐる事もある。が、客間を飾つてゐる書画は独りこれらの軸ばかりではない。西側の壁には安井曽太郎《やすゐそうたらう》の油絵の風景画が、東側の壁には斎藤与里《さいとうより》氏の油絵の艸花《くさばな》が、さうして又北側の壁には明月禅師《めいげつぜんじ》の無絃琴《むげんきん》と云ふ艸書《さうしよ》の横物《よこもの》が、いづれも額《がく》になつて挂《か》かつてゐる。その額の下や軸の前に、或は銅瓶《どうへい》に梅もどきが、或は青磁《せいじ》に菊の花がその時々で投げこんであるのは、無論奥さんの風流に相違あるまい。
もし先客がなかつたなら、この客間を覗いた眼を更に次の間《ま》へ転じなければならぬ。次の間と云つても客間の東側には、唐紙《からかみ》も何もないのだから、実は一つ座敷も同じ事である。唯|此処《ここ》は板敷で、中央に拡げた方一間《はういつけん》あまりの古絨毯《ふるじゆうたん》の外《ほか》には、一枚の畳も敷いてはない。さうして東と北の二方《にほう》の壁には、新古和漢洋の書物を詰めた、無暗に大きな書棚が並んでゐる。書物はそれでも詰まり切らないのか、ぢかに下の床《ゆか》の上へ積んである数《かず》も少くない。その上やはり南側の窓際に置いた机の上にも、軸だの法帖《はふでふ》だの画集だのが雑然と堆《うづたか》く盛《も》り上つてゐる。だから中央に敷いた古絨毯も、四方に並べてある書物のおかげで、派手《はで》なるべき赤い色が僅《わづか》ばかりしか見えてゐない。しかもそのまん中には小さい紫檀《したん》の机があつて、その又机の向うには座蒲団が二枚重ねてある。銅印《どういん》が一つ、石印《せきいん》が二《ふた》つ三《み》つ、ペン皿に代へた竹の茶箕《ちやき》、その中の万年筆、それから玉
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