すると婆さんの真名娘《まなむすめ》が私《ひそ》かにこの稚児に想ひを寄せ、稚児の身代りになつて死んでしまふ、それから稚児は観世音菩薩《くわんぜおんぼさつ》と現れ、婆さんに因果応報《いんぐわおうはう》を教へる、この婆さんの身を投げて死んだ池は未《いま》だに浅草寺《せんさうじ》の境内《けいだい》に「姥《うば》の池」となつて残つてゐる、――大体かう云ふ浄瑠璃《じやうるり》である。僕は少時《せうじ》国芳《くによし》の浮世絵《うきよゑ》にこの話の書いたのを見てゐたから、「吉原八景《よしはらはつけい》」だの「黒髪」だのよりも「石の枕」に興味を感じてゐた。それからその又国芳の浮世絵は観世音菩薩の衣紋《えもん》などに西洋画風の描法《べうほふ》を応用してゐたのも覚えてゐる。
 僕はその後《ご》槐《ゑんじゆ》の若木を見、そのどこか図案的な枝葉《えだは》を如何《いか》にも観世音菩薩《くわんぜおんぼさつ》の出現などにふさはしいと思つたものである。が、四五年|前《まへ》に北京《ペキン》に遊び、のべつに槐《ゑんじゆ》ばかり見ることになつたら、いつか詩趣とも云ふべきものを感じないやうになつてしまつた。唯青い槐の実の莢
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