その上に、黄泉路《よみぢ》の彼女を慰むべく、今まで妻に仕へてゐた十一人の女たちをも、埋め殺す事を忘れなかつた。女たちは皆、装ひを凝《こ》らして、いそいそと死に急いで行つた。するとそれを見た部落の老人たちは、いづれも眉をひそめながら、私《ひそか》に素戔嗚の暴挙を非難し合つた。
「十一人! 尊《みこと》は部落の旧習に全然無頓着で御出でなさる。第一の妃《きさき》が御なくなりなすつたのに、十一人しか黄泉《よみ》の御供を御させ申さないと云ふ法があらうか? たつた皆で十一人!」
葬《はうむ》りが全く終つた後、素戔嗚は急に思ひ立つて、八島士奴美に世を譲つた。さうして彼自身は須世理姫と共に、遠い海の向うにある根堅洲国《ねのがたすくに》へ移り住んだ。
其処は彼が流浪中に、最も風土の美しいのを愛した、四面海の無人島であつた。彼はこの島の南の小山に、茅葺《かやぶき》の宮を営ませて、安らかな余生を送る事にした。
彼は既に髪の毛が、麻のやうな色に変つてゐた。が、老年もまだ彼の力を奪ひ去る事が出来ない事は、時々彼の眼に去来する、精悍《せいかん》な光にも明かであつた。いや、彼の顔はどうかすると、須賀の宮にゐた時より、更に野蛮な精彩を加へる事もないではなかつた。彼は彼自身気づかなかつたが、この島に移り住んで以来、今まで彼の中に眠つてゐた野性が、何時《いつ》か又眼をさまして来たのであつた。
彼は娘の須世理姫と共に、蜂や蛇を飼ひ馴らした。蜂は勿論蜜を取る為、蛇は征矢《そや》の鏃《やじり》に塗るべき、劇烈な毒を得る為であつた。それから狩や漁の暇に、彼は彼の学んだ武芸や魔術を、一々須世理姫に教へ聞かせた。須世理姫はかう云ふ生活の中に、だんだん男にも負けないやうな、雄々しい女になつて行つた。しかし姿だけは依然として、櫛名田姫の面影を止めた、気高い美しさを失はなかつた。
宮のまはりにある椋《むく》の林は、何度となく芽を吹いて、何度となく又葉を落した。其度に彼は髯《ひげ》だらけの顔に、愈《いよいよ》皺の数を加へ、須世理姫は始終|微笑《ほほゑ》んだ瞳に、益《ますます》涼しさを加へて行つた。
三
或日素戔嗚が宮の前の、椋の木の下に坐りながら、大きな牡鹿の皮を剥《は》いでゐると、海へ水を浴びに行つた須世理姫が、見慣れない若者と一しよに帰つて来た。
「御父様、この方に唯今御目にかかりましたから、此処まで御伴《おとも》して参りました。」
須世理姫はかう云つて、やつと身を起した素戔嗚に、遠い国の若者を引き合はせた。
若者は眉目の描いたやうな、肩幅の広い男であつた。それが赤や青の頸珠《くびたま》を飾つて、太い高麗剣《こまつるぎ》を佩《は》いてゐる容子《ようす》は、殆ど年少時代そのものが目前に現れたやうに見えた。
素戔嗚は恭《うやうや》しい若者の会釈《ゑしやく》を受けながら、
「御前の名は何と云ふ?」と、無躾《ぶしつけ》な問を抛《はふ》りつけた。
「葦原醜男《あしはらしこを》と申します。」
「どうしてこの島へやつて来た?」
「食物や水が欲しかつたものですから、わざわざ舟をつけたのです。」
若者は悪びれた顔もせずに、一々はつきり返事をした。
「さうか。ではあちらへ行つて、勝手に食事をするが好い。須世理姫、案内はお前に任せるから。」
二人が宮の中にはいつた時、素戔嗚は又椋の木かげに、器用に刀子《たうす》を動かしながら、牡鹿の皮を剥ぎ始めた。が、彼の心は何時の間にか、妙な動揺を感じてゐた。それは丁度晴天の海に似た、今までの静な生活の空に、嵐を先触れる雲の影が、動かうとするやうな心もちであつた。
鹿の皮を剥ぎ終つた彼が、宮の中へ帰つたのは、もう薄暗い時分であつた。彼は広い階段《きざはし》を上ると、何時もの通り何気なく、大広間の戸口に垂れてゐる、白い帷《とばり》を掲げて見た。すると須世理姫と葦原醜男とが、まるで塒《ねぐら》を荒らされた、二羽の睦《むつま》じい小鳥のやうに、倉皇《さうくわう》と菅畳《すがだたみ》から身を起した。彼は苦い顔をしながら、のそのそ部屋の中へ歩を運んだが、やがて葦原醜男の顔へ、じろりと忌々《いまいま》しさうな視線をやると、
「お前は今夜此処へ泊つて、舟旅の疲れを休めて行くが好い。」と、半ば命令的な言葉をかけた。
葦原醜男は彼の言葉に、嬉しさうな会釈《ゑしやく》を返したが、それでもまだ何となく、間の悪げな気色《けしき》は隠せなかつた。
「ではすぐにあちらへ行つて、遠慮なく横になつてくれい。須世理姫――」
素戔嗚は娘を振り返ると、突然|嘲《あざけ》るやうな声を出した。
「この男を早速蜂の室《むろ》へつれて行つてやるが好い。」
須世理姫は一瞬間、色を失つたやうであつた。
「早くしないか!」
父親は彼女がためらふのを見ると、荒熊のやう
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