――しかし其処には同時に又涙に似たものもないではなかつた。彼は肩を聳《そび》やかせた後、無造作に弓矢を抛り出した。それから、――さも堪へ兼ねたやうに、瀑《たき》よりも大きい笑ひ声を放つた。
「おれはお前たちを祝《ことほ》ぐぞ!」
 素戔嗚は高い切り岸の上から、遙かに二人をさし招いだ。
「おれよりももつと手力《たぢから》を養へ。おれよりももつと智慧《ちゑ》を磨け。おれよりももつと、……」
 素戔嗚はちよいとためらつた後、底力のある声に祝ぎ続けた。
「おれよりももつと仕合せになれ!」
 彼の言葉は風と共に、海原の上へ響き渡つた。この時わが素戔嗚は、大日※[#「靈」の「巫」に代えて「女」、第3水準1−47−53]貴《おほひるめむち》と争つた時より、高天原の国を逐《お》はれた時より、高志《こし》の大蛇《をろち》を斬つた時より、ずつと天上の神々に近い、悠々たる威厳に充ち満ちてゐた。
[#地から2字上げ](大正九年)



底本:「現代日本文学大系43芥川龍之介集」筑摩書房
   1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月17日公開
2004年2月18日修正
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