て、岩の下の枯茨《かれいばら》へ火を放つた。

       八

 色のない焔は瞬《またた》く内に、濛々《もうもう》と黒煙を挙げ始めた。と同時にその煙の下から、茨や小篠《をざさ》の焼ける音が、けたたましく耳を弾《はじ》き出した。
「今度こそあの男を片づけたぞ。」
 素戔嗚は高い岩の上に、ぢつと弓杖《ゆんづゑ》をつきながら、兇猛な微笑を浮べてゐた。
 火は益《ますます》燃え拡がつた。鳥は苦しさうに鳴きながら、何羽も赤黒い空へ舞ひ上つた。が、すぐに又煙に巻かれて、紛々と火の中へ落ちて行つた。それがまるで遠くからは、嵐に振はれた無数の木の実が、しつきりなくこぼれ飛ぶやうに見えた。
「今度こそあの男を片づけたぞ。」
 素戔嗚はかう心の中《うち》に、もう一度満足の吐息を洩らすと、何故か云ひやうのない寂しさがかすかに湧いて来るやうな心もちがした。……
 その日の薄暮、勝ち誇つた彼は腕を組んで、宮の門に佇みながら、まだ煙の迷つてゐる荒野の空を眺めてゐた。すると其処へ須世理姫が、夕餉《ゆふげ》の仕度の出来たことを気がなささうに報じに来た。彼女は近親の喪《も》を弔ふやうに、何時の間にかまつ白な裳《も》を夕明りの中に引きずつてゐた。
 素戔嗚はその姿を見ると、急に彼女の悲しさを踏みにじりたいやうな気がし出した。
「あの空を見ろ。葦原醜男は今時分――」
「存じて居ります。」
 須世理姫は眼を伏せてゐたが、思ひの外はつきりと、父親の言葉を遮《さへぎ》つた。
「さうか? ではさぞかし悲しからうな?」
「悲しうございます。よしんば御父様が御歿《おな》くなりなすつても、これ程悲しくございますまい。」
 素戔嗚は色を変へて、須世理姫を睨《にら》みつけた。が、それ以上彼女を懲《こ》らす事は、どう云ふものか出来なかつた。
「悲しければ、勝手に泣くが好い。」
 彼は須世理姫に背を向けて、荒々しく門の内へはひつて行つた。さうして宮の階段《きざはし》を上りながら、忌々《いまいま》しさうに舌を打つた。
「何時ものおれなら口も利かずに、打ちのめしてやる所なのだが……」
 須世理姫は彼の去つた後も、暫くは、暗く火照《ほて》つた空へ、涙ぐんだ眼を挙げてゐたが、やがて頭を垂れながら、悄然《せうぜん》と宮へ帰つて行つた。
 その夜素戔嗚は何時までも、眠に就く事が出来なかつた。それは葦原醜男を殺した事が、何となく彼の心
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