て、中門《ちゅうもん》を打って出た侍たちに、やはり手痛い逆撃《さかう》ちをくらわせられた。たかが青侍の腕だてと思い侮っていた先手《せんて》の何人かも、算を乱しながら、背《そびら》を見せる――中でも、臆病《おくびょう》な猪熊《いのくま》の爺《おじ》は、たれよりも先に逃げかかったが、どうした拍子か、方角を誤って、太刀《たち》をぬきつれた侍たちのただ中へ、はいるともなく、はいってしまった。酒肥《さかぶと》りした体格と言い、物々しく鉾《ほこ》をひっさげた様子と言い、ひとかど手なみのすぐれたものと、思われでもしたのであろう。侍たちは、彼を見ると、互いに目くばせをかわしながら、二人三人、鋒《きっさき》をそろえたまま、じりじり前後から、つめよせて来た。
「はやるまいぞ。わしはこの殿の家人《けにん》じゃ。」
猪熊《いのくま》の爺《おじ》は、苦しまぎれにあわただしくこう叫んだ。
「うそをつけ。――おのれにたばかれるような阿呆《あほう》と思うか。――往生ぎわの悪いおやじじゃ。」
侍たちは、口々にののしりながら、早くも太刀《たち》を打ちかけようとする。もうこうなっては、逃げようとしても逃げられない。猪熊の爺の顔は、とうとう死人《しびと》のような色になった。
「何がうそじゃ。何がうそじゃよ。」
彼は、目を大きくして、あたりをしきりに見回しながら、逃げ場はないかと気をあせった。額には、つめたい汗がわいて来る。手もふるえが止まらない。が、周囲は、どこを見ても、むごたらしい生死の争いが、盗人と侍との間に戦われているばかり、静かな月の下ではあるが、はげしい太刀音《たちおと》と叫喚の声とが、一塊《ひとかたまり》になった敵味方の中から、ひっきりなしにあがって来る。――しょせん逃げられないとさとった彼は、目を相手の上にすえると、たちまち別人のように、凶悪なけしきになって、上下《じょうげ》の齒をむき出しながら、すばやく鉾《ほこ》をかまえて、威丈高《いたけだか》にののしった。
「うそをついたがどうしたのじゃ。阿呆《あほう》。外道《げどう》。畜生。さあ来い。」
こう言うことばと共に、鉾《ほこ》の先からは、火花が飛んだ。中でも屈竟《くっきょう》な、赤あざのある侍が一人、衆に先んじてかたわらから、無二無三に切ってかかったのである。が、もとより年をとった彼が、この侍の相手になるわけはない。まだ十合《じゅうごう》と刃《は》を合わせないうちに、見る見る、鉾先《ほこさき》がしどろになって、次第にあとへ下がってゆく。それがやがて小路のまん中まで、切り立てられて来たかと思うと、相手は、大きな声を出して、彼が持っていた鉾《ほこ》の柄《え》を、みごとに半ばから、切り折った。と、また一太刀《ひとたち》、今度は、右の肩先から胸へかけて、袈裟《けさ》がけに浴びせかける。猪熊《いのくま》の爺《おじ》は、尻居《しりい》に倒れて、とび出しそうに大きく目を見ひらいたが、急に恐怖と苦痛とに堪えられなくなったのであろう、あわてて高這《たかば》いに這《は》いのきながら声をふるわせて、わめき立てた。
「だまし討ちじゃ。だまし討ちを、食らわせおった。助けてくれ。だまし討ちじゃ。」
赤あざの侍は、その後ろからまた、のび上がって、血に染んだ太刀《たち》をふりかざした。その時もし、どこからか猿《さる》のようなものが、走って来て、帷子《かたびら》の裾《すそ》を月にひるがえしながら、彼らの中へとびこまなかったとしたならば、猪熊《いのくま》の爺《おじ》は、すでに、あえない最後を遂げていたのに相違ない。が、その猿《さる》のようなものは、彼と相手との間を押しへだてると、とっさに小刀《さすが》をひらめかして、相手の乳の下へ刺し通した。そうして、それとともに、相手の横に払った太刀《たち》をあびて、恐ろしい叫び声を出しながら、焼け火箸《ひばし》でも踏んだように、勢いよくとび上がると、そのまま、向こうの顔へしがみついて、二人いっしょにどうと倒れた。
それから、二人の間には、ほとんど人間とは思われない、猛烈なつかみ合いが、始まった。打つ。噛《か》む。髪をむしる。しばらくは、どちらがどちらともわからなかったが、やがて、猿のようなものが、上になると、再び小刀《さすが》がきらりと光って、組みしかれた男の顔は、痣《あざ》だけ元のように赤く残しながら、見ているうちに、色が変わった。すると、相手もそのまま、力が抜けたのか、侍の上へ折り重なって、仰向けにぐたりとなる――その時、始めて月の光にぬれながら、息も絶え絶えにあえいでいる、しわだらけの、蟇《ひき》に似た、猪熊のばばの顔が見えた。
老婆は、肩で息をしながら、侍の死体の上に横たわって、まだ相手の髻《もとどり》をとらえた、左の手もゆるめずに、しばらくは苦しそうな呻吟《しんぎん》の声をつづ
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