る。その画中の人物は緑いろの光琳波《くわうりんは》を描いた扇面を胸に開いてゐた。それは全体の色彩の効果を強めてゐるのに違ひなかつた。が、廓大鏡に覗いて見ると、緑いろをしてゐるのは緑青《ろくしやう》を生じた金いろだつた。わたしはこの一枚の写楽に美しさを感じたのは事実である。けれどもわたしの感じたのは写楽の捉へた美しさと異つてゐたのも事実である。かう言ふ変化は文章の上にもやはり起るものと思はなければならぬ。
又
芸術も女と同じことである。最も美しく見える為には一時代の精神的雰囲気或は流行に包まれなければならぬ。
又
のみならず芸術は空間的にもやはり軛《くびき》を負はされてゐる。一国民の芸術を愛する為には一国民の生活を知らなければならぬ。東禅寺に浪士の襲撃を受けた英吉利《イギリス》の特命全権公使サア・ルサアフォオド・オルコツクは我我日本人の音楽にも騒音を感ずる許りだつた。彼の「日本に於ける三年間」はかう言ふ一節を含んでゐる。――「我我は坂を登る途中、ナイティンゲエルの声に近い鶯の声を耳にした。日本人は鶯に歌を教へたと言ふことである。それは若しほんたうと
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