の芸術的価値を半ば肯定する論法であります。しかしその『半ば』なるものは『より悪い半ば』でなければなりません。『より善い半ば』を肯定することは頗《すこぶ》るこの論法には危険であります。
「たとへば日本の桜の花の上にこの論法を用ひて御覧なさい。桜の花の『より善い半ば』は色や形の美しさであります。けれどもこの論法を用ふるためには『より善い半ば』よりも『より悪い半ば』――即ち桜の花の匂ひを肯定しなければなりません。つまり『匂いは正にある。が、畢竟それだけだ』と断案を下してしまふのであります。若し又万一『より悪い半ば』の代りに『より善い半ば』を肯定したとすれば、どう言ふ破綻を生じますか? 『色や形は正に美しい。が、畢竟それだけだ』――これでは少しも桜の花を貶したことにはなりません。
「勿論批評学の問題は如何に或小説や戯曲を貶すかと言ふことに関してゐます。しかしこれは今更のやうに申し上げる必要はありますまい。
「ではこの『より善い半ば』や『より悪い半ば』は何を標準に区別しますか? かう言ふ問題を解決する為には、これも度たび申し上げた価値論へ溯《さかのぼ》らなければなりません。価値は古来信ぜられたや
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