たらしい。星も相不変頭の上に涼しい光を放つてゐる。さあ、君はウイスキイを傾け給へ。僕は長椅子に寝ころんだままチヨコレエトの棒でも囓《かぢ》ることにしよう。

       地上楽園

 地上楽園の光景は屡《しばしば》詩歌にもうたはれてゐる。が、わたしはまだ残念ながら、さう云ふ詩人の地上楽園に住みたいと思つた覚えはない。基督教徒の地上楽園は畢竟退屈なるパノラマである。黄老の学者の地上楽園もつまりは索漠とした支那料理屋に過ぎない。況や近代のユウトピアなどは――ウイルヤム・ジエエムスの戦慄したことは何びとの記憶にも残つてゐるであらう。
 わたしの夢みてゐる地上楽園はさう云ふ天然の温室ではない。同時に又さう云ふ学校を兼ねた食糧や衣服の配給所でもない。唯此処に住んでゐれば、両親は子供の成人と共に必ず息を引取るのである。それから男女の兄弟はたとひ悪人に生まれるにもしろ、莫迦には決して生まれない結果、少しも迷惑をかけ合わないのである。それから女は妻となるや否や、家畜の魂を宿す為に従順そのものに変るのである。それから子供は男女を問はず、両親の意志や感情通りに、一日のうちに何回でも聾と唖と腰ぬけと盲目と
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