すれば、驚くべきことに違ひない。元来日本人は音楽と言ふものを自ら教へることも知らないのであるから。」(第二巻第二十九章)

       天才

 天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。只この一歩を理解する為には百里の半ばを九十九里とする超数学を知らなければならぬ。

       又

 天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。同時代は常にこの一歩の千里であることを理解しない。後代は又この一歩であることに盲目である。同時代はその為に天才を殺した。後代は又その為に天才の前に香を焚《た》いてゐる。

       又

 民衆も天才を認めることに吝《やぶさ》かであるとは信じ難い。しかしその認めかたは常に頗る滑稽である。

       又

 天才の悲劇は「小ぢんまりした、居心の好い名声」を与へられることである。

       又

 耶蘇「我笛吹けども、汝等踊らず。」
 彼等「我等踊れども、汝足らはず。」

       嘘

 我我は如何なる場合にも、我我の利益を擁護せぬものに「清き一票」を投ずる筈はない。この「我我の利益」の代りに「天下の利益」を置き換へるのは全共和制度の嘘である。この嘘だけはソヴイエツトの治下にも消滅せぬものと思はなければならぬ。

       又

 一体になつた二つの観念を採り、その接触点を吟味すれば、諸君は如何に多数の嘘に養はれてゐるかを発見するであらう。あらゆる成語はこの故に常に一つの問題である。

       又

 我我の社会に合理的外観を与へるものは実はその不合理の――その余りに甚しい不合理の為ではないであらうか?

       レニン

 驚いたね、レニンと言ふ人の余りに当り前の英雄なのには。

       賭博

 偶然即ち神と闘ふものは常に神秘的威厳に満ちてゐる。賭博者《とばくしや》も亦この例に洩れない。

       又

 古来賭博に熱中した厭世主義者のないことは如何に賭博の人生に酷似してゐるかを示すものである。

       又

 法律の賭博を禁ずるのは賭博に依る富の分配法そのものを非とする為ではない。実は唯その経済的ディレツタンティズムを非とする為である。

       懐疑主義

 懐疑主義も一つの信念の上に、――疑ふことは疑はぬと言ふ信念の上に立つものである。成程それは矛盾
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