。僕がお敏さんへ手紙を渡した事なんぞを、電話で君にしゃべらなかったら、あの婆も僕の計画には感づかずにいたのに違いないんだからな。」と、いかにも当惑したらしいため息さえ洩らすのです。新蔵はいよいよたまらなくなって、「今になってもまだ君の計画を知らせてくれないと云うのは、あんまり君、残酷《ざんこく》じゃないか。そのおかげで僕は、二重の苦しみをしなけりゃならないんだ。」と、声を震わせながら怨じ立てると、泰さんは「まあ。」と抑えるような手つきをして、「そりゃ重々もっともだよ。もっともだと云う事は僕もよく承知しているんだが、あの婆を相手にしている以上、これも已《や》むを得ない事だと思ってくれ給え。現に今も云った通り、僕はお敏さんへ手紙を渡した事も、君に打明けずに黙っていたら、もっと万事好都合に、運んだかも知れないと思っているんだ。何しろ君の一言一動は、皆、お島婆さんにゃ見透しらしいからね。いや、事によると、この間の電話の一件以来、僕も随分あの婆に睨《にら》まれていないもんでもない。が、今までの所じゃ、とにかく僕には君ほどの不思議な事件も起らないんだから、実際僕の計画が失敗したのかどうか、それがはっきり分るまでは、いくら君に恨《うら》まれても、一切僕の胸一つにおさめて置きたいと思うんだ。」と、諭《さと》したり慰めたりしてくれました。が、新蔵はそう聞いた所で、泰さんの云う事には得心出来ても、お敏の安否を気使う心に変りのある筈はありませんから、まだ険しい表情を眉の間に残したまま、「それにしても君、お敏の体に間違いのあるような事はないだろうね。」と、突っかかるように念を押すと、泰さんもやはり心配そうな眼つきをして、「さあ。」と云ったぎり、しばらくは思案《しあん》に沈んでいましたが、やがてちょいと次の間の柱時計を覗《のぞ》きながら、「僕もそれが気になって仕方がないんだ。じゃあの婆の家へは行かないでも、近所まで偵察《ていさつ》に行って見ようか。」と、思い切ったらしく云うのです。新蔵も実は悠長にこうして坐りこんでいるのが、気が気でなかった所ですから、勿論いやと言う筈はありません。そこですぐに相談が纏《まとま》って、ものの五分と経たない内に、二人は夏羽織の肩を並べながら、※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そうそう》泰さんの家を出ました。
所が泰さんの家を出て、まだ半町と行かない
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