な若いのが、そこな石河岸《いしがし》の石の上で、ついているため息が聞えぬかいの。」と、次第に後の箪笥に映った影も大きくなるかと思うほど、膝を進めて来ましたが、やがてその婆臭い※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《におい》が、新蔵の鼻を打ったと思うと、障子も、襖も、御酒徳利も、御鏡も、箪笥も、座蒲団も、すべて陰々とした妖気の中に、まるで今までとは打って変った、怪しげな形を現して、「あの若いのもおぬしのように、おのが好色心《すきごころ》に目が眩んでの、この婆に憑《つか》らせられた婆娑羅《ばさら》の大神に逆《さかろ》うたてや。されば立ち所に神罰を蒙って、瞬く暇に身を捨ちょうでの。おぬしには善い見せしめじゃ。聞かっしゃれ。」と云う声が、無数の蠅《はえ》の羽音のように、四方から新蔵の耳を襲って来ました。その拍子に障子の外の竪川へ、誰とも知れず身を投げた、けたたましい水音が、宵闇を破って聞えたそうです。これに荒胆《あらぎも》を挫がれた新蔵は、もう五分とその場に居たたまれず、捨台辞《すてぜりふ》を残すのもそこそこで、泣いているお敏さえ忘れたように、蹌踉《そうろう》とお島婆さんの家を飛び出しました。
さて日本橋の家へ帰って、明くる日起きぬけに新聞を見ると、果して昨夜竪川に身投げがあった。――それも亀沢《かめざわ》町の樽屋の息子で、原因は失恋、飛びこんだ場所は、一の橋と二の橋との間にある石河岸と出ているのです。それが神経にこたえたのでしょう。新蔵は急に熱が出て、それから三日ばかりと云うものは、ずっと床についていました。が、寝ていても気にかかるのは、申すまでもなくお敏の事で、勿論今となって見れば、何も相手が心変りをしたと云う訣《わけ》じゃなく、突然暇をとったのも、二度とこの界隈へ来てくれるなと云ったのも、皆お島婆さんの作略に相異ないのですから、今更のようにお敏を疑ったのが恥しくもなって来ますし、また一方ではこの自分に何の怨《うらみ》もないお島婆さんが、何故そんな作略をめぐらすのだか、不思議で仕方がなかったそうです。それにつけても人一人身投げをさせて見ているような、鬼婆と一しょにいるのじゃ、今にもお敏は裸のまま、婆娑羅《ばさら》の大神が祭ってある、あの座敷の古柱へ、ぐるぐる巻に括《くく》りつけられて、松葉燻《まつばいぶ》しぐらいにはされ兼ねますまい。そう思うともう新蔵は、おち
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