を見廻すと、部屋は想像していた通り、天井も柱も煤の色をした、見すぼらしい八畳でしたが、正面に浅い六尺の床があって、婆娑羅大神《ばさらだいじん》と書いた軸の前へ、御鏡が一つ、御酒徳利が一対、それから赤青黄の紙を刻んだ、小さな幣束《へいそく》が三四本、恭しげに飾ってある、――その左手の縁側の外は、すぐに竪川の流でしょう。思いなしか、立て切った障子に響いて、かすかな水の音が聞えました。さて肝腎の相手はと見ると、床の前を右へ外《はず》して、菓子折、サイダア、砂糖袋、玉子の折などの到来物が、ずらりと並んでいる箪笥《たんす》の下に、大柄な、切髪の、鼻が低い、口の大きな、青ん膨《ぶく》れに膨れた婆が、黒地の単衣の襟を抜いて、睫毛《まつげ》の疎《まばら》な目をつぶって、水気の来たような指を組んで、魍魎《もうりょう》のごとくのっさりと、畳一ぱいに坐っていました。さっきこの婆のものを云う声が、蟇《がま》の呟くようだったと云いましたが、こうして坐っているのを見ると、蟇も蟇、容易ならない蟇の怪が、人間の姿を装って、毒気を吐こうとしているとでも形容しそうな気色ですから、これにはさすがの新蔵も、頭の上の電燈さえ、光が薄れるかと思うほど、凄《すさま》しげな心もちがして来たそうです。
 が、勿論それくらいな事は、重々覚悟の前でしたから、「じゃ一つ御覧を願いたい。縁談ですがね。」と、きっぱり云った。――その言葉が聞えないのか、お島婆さんはやっと薄眼を開いて、片手を耳へ当てながら、「何の、縁談の。」と繰返しましたが、やはり同じようなぼやけた声で、「おぬし、女が欲しいでの。」と、のっけから鼻で笑ったと云います。新蔵はじりじり業の煮えるのをこらえながら、「欲しいからこそ、見て貰うんです。さもなけりゃ、誰がこんな――」と、柄《がら》にもない鉄火な事を云って、こちらも負けずに鼻で笑いました。けれども婆は自若として、まるで蝙蝠《こうもり》の翼のように、耳へ当てた片手を動かしながら、「怒らしゃるまいてや。口が悪いはわしが癖じゃての。」と、まだ半ばせせら笑うように、新蔵の言葉を遮《さえぎ》りましたが、それでもようやく調子を改めて、「年はの。」と、仔細《しさい》らしく尋ねたそうです。「男は二十三――酉年です。」「女はの。」「十七。」「卯年よの。」「生れ月《づき》は――」「措《お》かっしゃい。年ばかりでも知りょうての。
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