のようにこう言った。
「このベルは今でも鳴るかしら。」
ベルは木蔦《きづた》の葉の中にわずかに釦《ボタン》をあらわしていた。僕はそのベルの釦へ――象牙《ぞうげ》の釦へ指をやった。ベルは生憎《あいにく》鳴らなかった。が、万一鳴ったとしたら、――僕は何か無気味《ぶきみ》になり、二度と押す気にはならなかった。
「何《なん》と言ったっけ、この家の名は?」
Sさんは玄関に佇《たたず》んだまま、突然誰にともなしに尋ねかけた。
「悠々荘?」
「うん、悠々荘。」
僕等三人はしばらくの間《あいだ》、何《なん》の言葉も交《かわ》さずに茫然と玄関に佇《たたず》んでいた、伸び放題伸びた庭芝《にわしば》だの干上《ひあが》った古池だのを眺めながら。
[#地から1字上げ](大正十五年十月二十六日・鵠沼)
底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年3月24日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
初出:「サンデー毎日」
1927(昭和2)年1月
入力:j.utiyama
校正:小林繁雄
2005年1月27日作成
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