少女と婚約さす、さうしておいて、花やかな社交界に二人をドシドシと出入させた。賑やかな交際社会へ入つてみると、今まで綺麗だと思つてゐた田舎者の少女も、美しい令嬢、夫人たちに伍すると非常に見劣りがして、その上、礼儀、作法、人品、言葉遣ひなど種々の点で、これでは結婚後不便だらうと思はれるやうなあら[#「あら」に傍点]が沢山眼に見えてきたので、息子の方から破約を申出たといふのである。これを読んだときは、惨酷な手段を取つたものだなあと思つたが、よく考へてみると、その結果は息子のためにも少女のためにも、又周囲の人達の為にも、幸福――当座は不幸であつたかも知れないにしても――であつたに違ひない。ブルの婆々め非道いことやつたなとも考へられないではないが、兎に角、これだけの用意を心に持つた親といふものは滅多にないものである。
恋愛を余り高調するな
今の若い人達は余り恋愛といふものを高調し過ぎる。恋愛に関して非常に感傷的《センチメンタル》になつてゐると私には思はれる。婦人が殊に甚しいやうである。尤《もつと》も男子のやうな社会的生活をすることが少いから、婦人に於ける性の意義は男子のそれよりも重く、それだけに婦人が当然の帰結として恋愛を高調するのかも知れないが、実に馬鹿げたことである。恋愛といふものはそんなに高潔であり恒久永続するものではなくて、互に『変るまいぞや』『変るまい』と契つた仲でも、常に幾多の紆余曲折《うよきよくせつ》があり幻滅が伴ふものである。だから私は先に言うたやうにホリデーラヴを主張するのである。よしんば其の恋愛が途中の支障がなく、順調に芽を育まれて行つたにしても、結婚によつて、それは消滅し又は全く形を変へてしまふのである。
自由結婚にしても媒酌結婚にしても、結婚生活といふものは幻滅であつて、或る意味に於て凡ての結婚といふものは、決して幸福なものではないと思ふ。
底本:「芥川龍之介全集 第十一巻」岩波書店
1996(平成8)年9月9日発行
入力:もりみつじゅんじ
校正:綾小路毅
2002年4月30日作成
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