]の先《さき》に、重たくうす暗《くら》い雲《くも》を支へてゐる。
どうにもならない事を、どうにかする爲には、手段《しゆだん》を選んでゐる遑《いとま》はない。選んでゐれば、築土《ついぢ》の下か、道ばたの土の上で、饑死《うゑじに》をするばかりである。さうして、この門の上へ持つて來て、犬《いぬ》のやうに棄《す》てられてしまふばかりである。選《えら》ばないとすれば――下人の考へは、何度《なんど》も同じ道を低徊した揚句《あげく》に、やつとこの局所へ逢着《はうちやく》した。しかしこの「すれば」は、何時《いつ》までたつても、結局「すれば」であつた。下人は、手段《しゆだん》を選ばないといふ事を肯定《こうてい》しながらも、この「すれば」のかたをつける爲に、當然《たうぜん》、その後に來る可き「盗人《ぬすびと》になるより外に仕方《しかた》がない」と云ふ事を、積極的《せきゝよくてき》に肯定する丈の、勇氣が出ずにゐたのである。
下人は、大きな嚏《くさめ》をして、それから、大儀さうに立上つた。夕冷《ゆふひ》えのする京都は、もう火桶《ひをけ》が欲しい程の寒さである。風は門の柱《はしら》と柱との間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗《にぬり》の柱にとまつてゐた蟋蟀《きり/″\す》も、もうどこかへ行つてしまつた。
下人は、頸をちゞめながら、山吹の汗衫《かざみ》に重ねた、紺の襖の肩を高《たか》くして門のまはりを見まはした。雨風《あめかぜ》の患のない、人目にかゝる惧のない、一|晩《ばん》樂《らく》にねられさうな所があれば、そこでともかくも、夜《よ》を明《あ》[#ルビの「あ」は底本では「あか」]かさうと思つたからである。すると、幸門の上の樓《ろう》へ上る、幅の廣い、之も丹を塗つた梯子《はしご》が眼についた。上《うへ》なら、人がゐたにしても、どうせ死人《しにん》ばかりである。下人は、そこで腰にさげた聖柄《ひぢりづか》の太刀が鞘走らないやうに氣をつけながら、藁草履《わらざうり》をはいた足を、その梯子の一|番下《ばんした》の段へふみかけた。
それから、何分《なんぷん》かの後である。羅生門の樓の上へ出る、幅《はゞ》の廣い梯子の中段に、一人の男が、猫《ねこ》のやうに身をちゞめて、息《いき》を殺しながら、上の容子《ようす》を窺つてゐた。樓の上からさす火《ひ》の光《ひかり》が、かすかに、その男の右の頬《ほゝ》をぬらしてゐる。短い鬚《ひげ》の中に、赤く膿を持つた面皰《にきび》のある頬である。下人は、始めから、この上にゐる者は、死人《しにん》ばかりだと高を括つてゐた。それが、梯子《はしご》を二三段上つて見ると、上では誰か火《ひ》をとぼして、しかもその火を其處此處《そこゝこ》と動《うご》かしてゐるらしい。これは、その濁つた、黄いろい光が、隅々《すみ/″\》に蜘蛛の巣をかけた天井裏に、ゆれながら映《うつ》つたので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしてゐるからは、どうせ唯の者ではない。
下人は、守宮《やもり》のやうに足音をぬすんで、やつと急《きふ》な梯子を、一番上の段まで這ふやうにして上りつめた。さうして體《からだ》を出來る丈、平にしながら、頸《くび》を出來る丈、前へ出して、恐《おそ》る恐る、樓の内を覗《のぞ》いて見た。
見ると、樓の内には、噂《うはさ》に聞いた通り、幾つかの屍骸《しがい》が、無造作《むざうさ》に棄てゝあるが、火の光の及ぶ範圍《はんゐ》が、思つたより狹いので、數《かず》は幾つともわからない。唯、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸《はだか》の屍骸と、着物《きもの》を着た屍骸とがあると云ふ事である。勿論《もちろん》、中には女も男もまじつてゐるらしい。さうして、その屍骸は皆、それが、甞、生きてゐた人間だと云ふ事實《じゞつ》さへ疑はれる程、土を捏ねて造つた人形《にんぎやう》のやうに、口を開《あ》いたり手を延ばしたりしてごろごろ床《ゆか》の上にころがつてゐた。しかも、肩とか胸《むね》とかの高くなつてゐる部分《ぶゞん》に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなつてゐる部分の影を一|層《そう》暗《くら》くしながら、永久に唖《おし》の如く默《だま》つていた。
下人は、それらの屍骸の腐爛《ふらん》した臭氣に思はず、鼻《はな》を掩つた。しかし、その手は、次の瞬間《しゆんかん》には、もう鼻を掩ふ事を忘れてゐた。或る強い感情《かんじやう》が、殆悉この男の嗅覺を奪つてしまつたからである。
下人の眼は、その時、はじめて、其《その》屍骸《しがい》の中に蹲つている人間を見た。檜肌色《ひはだいろ》の着物を著た、背の低い、痩せた、白髮頭《しらがあたま》の、猿のやうな老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松《まつ》の木片を持つて、その屍骸《しがい》の
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