云う事を知った始《はじめ》である。
 次いで、四代目の「新思潮」が久米、松岡、菊池、成瀬、自分の五人の手で、発刊された。そうして、その初号に載った「鼻」を、夏目先生に、手紙で褒めて頂いた。これが、自分の小説を友人以外の人に批評された、そうして又同時に、褒めて貰《もら》った始めである。
 爾来《じらい》程なく、鈴木三重吉氏の推薦によって、「芋粥《いもがゆ》」を「新小説」に発表したが、「新思潮」以外の雑誌に寄稿したのは、寧《むし》ろ「希望」に掲げられた、「虱《しらみ》」を以《もっ》て始めとするのである。
 自分が、以上の事をこの集の後に記したのは、これらの作品を書いた時の自分を幾分でも自分に記念したかったからに外ならない。自分の創作に対する所見、態度の如《ごと》きは、自《おのずか》ら他に発表する機会があるであろう。唯《ただ》、自分は近来ます/\自分らしい道を、自分らしく歩くことによってのみ、多少なりとも成長し得る事を感じている。従って、屡々《しばしば》自分の頂戴《ちょうだい》する新理智派《しんりちは》と云い、新技巧派と云う名称の如きは、何《いず》れも自分にとっては寧《むし》ろ迷惑な貼札《はりふだ》たるに過ぎない。それらの名称によって概括される程、自分の作品の特色が鮮明で単純だとは、到底自信する勇気がないからである。
 最後に自分は、常に自分を刺戟《しげき》し鼓舞してくれる「新思潮」の同人に対して、改めて感謝の意を表したいと思う。この集の如きも、或《あるい》は諸君の名によって――同人の一人の著作として覚束《おぼつか》ない存在を未来に保つような事があるかも知れない。そうなれば、勿論《もちろん》自分は満足である。が、そうならなくとも亦《また》必ずしも満足でない事はない。敢《あえ》て同人に語を寄せる所以《ゆえん》である。
    大正六年五月
[#地から1字上げ]芥川龍之介



底本:「日本の文学 33 羅生門」ほるぷ出版
   1984(昭和59)年8月1日初版第1刷発行
   1986(昭和61)年12月1日初版第3刷発行
底本の親本:「羅生門」阿蘭陀書房
   1917(大正6)年5月発行
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年12月28日公開
2004年3月17日修正
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