て哀を請ふ事をなさず。而して彼は世路の曲線的なるにも関らず、常に直線的に急歩せずンば止まず。彼は衝突を辞せざるのみならず、又衝突を以て彼の大なる使命としたり。彼が猫間中納言を辱めたる、平知康を愚弄したる、法住寺殿に弓をひきたる、皆彼が此直線的の行動に拠る所なくンばあらず。水戸の史家が彼を反臣伝中の一人たらしめしが如き、此間の心事を知らざるもの、吾人遂に其余りに近眼なるに失笑せざる能はざる也。彼は身を愛惜せず、彼は燎原の火の如し。彼は己を遮るすべてを焼かずンば止まざる也。すべてを焼かずンば止まざるのみならず、彼自身をも焼かずンば止まざる也。彼が法皇のクーデターを聞くや、彼は「北国の雪をはらうて京へ上りしより一度も敵に後を見せず、仮令十善の君にましますとも甲を脱ぎ弓の弦をはづして降人にはえこそまゐるまじけれ」と絶叫したり。若し兵衛佐頼朝をして此際に処せしめむ乎。彼は如何なる死地に陥るも、法住寺殿の変はなさざりしならむ。頼朝は行はるゝ事の外は行ふことを欲せず。彼は、其実行に関らず、唯其期する所を行はむと欲せし也。是豈彼が一身を顧みざるの所以、彼が革命の使命を帯びたる健児たるの所以、而して頼朝が甘じて反臣伝に録せらるゝをなさざりし所以にあらずや。
彼は彼自身、彼を信ずる事厚かりき。彼は、其信ずる所の前には、天下口を斉うして之に反するも、猶自若として恐れざりき。所謂自反して縮んば千万人と雖も、我往かむの気象は欝勃として彼の胸中に存したりき。さればこそ彼は四郎兼平の諫をも用ひず、法住寺殿に火を放つの暴行を敢てせしなれ。彼の法皇に平ならざるや、彼は「たとへば都の守護してあらむずるものが馬一疋づつ飼ひて乗らざるべきか、幾らともある田ども刈らせて秣にせむをあながちに法皇の咎め給ふべきやうやある」と憤激したり。彼は彼が旗下幾万の北国健児が、京洛に行へる狼藉を寧ろ当然の事と信じたり。
而して此所信の前には怫然として、其不平を法皇に迄及ぼすを憚らざりき。請ふ彼が再次いで鳴らしたる怨言を聞け。「冠者ばらどもが、西山東山の片ほとりにつきて時々入取せむは何かは苦しかるべき。大臣以下、官々の御所へも参らばこそ僻事ならめ」彼は、彼に対するクーデターの理由をかゝる見地を以て判断したり。而して、彼に一点の罪なきを信じたり。既に青天白日、何等の不忠なきを信ず、彼が刀戟介馬法住寺殿を囲みて法皇を驚かせまゐらせたる、豈偶然ならずとせむや。
彼は、如上の性行を有す、是真に天成の革命家也。軽浮にして軽悍なる九郎義経の如き、老猾にして奸雄なる蔵人行家の如き、或は以て革命の健児が楯戟の用をなす事あるべし。然れども其楯戟を使ふべき革命軍の将星に至りては、必ず真率なる殉道的赤誠の磅薄として懐裡に盈つるものなくンばあらず。然り、狂暴、驕悍のロベスピエールを以てする尚一片烈々たる殉道的赤誠を有せし也。
彼は唯一の赤誠を有す。一世を空うするの覇気となり、行路の人に忍びざるの熱情となる、其本は一にして其末は万也。夫大川の源を発す、其源は渓間の小流のみ。彼が彼たる所以、唯此一点の霊火を以て全心を把持する故たらずとせむや。彼は赤誠の人也、彼は熱情の人也、願くは頼朝の彼と戦を交へむとしたるに際し、彼が頼朝に答へたる言を聞け。「公は源家の嫡流也。我は僅に一門の末流に連り、驥尾に附して平民を図らむと欲するのみ。公今干戈を動かさむとす、一門相攻伐するが如き、是源氏の不幸にして、しかも平氏をして愈※[#二の字点、1−2−22]虚に乗ぜしむるもの也。我深く憂慮に堪へず。」と。何ぞ其言の肝胆を披瀝して、しかも察々として潔きや。辞を低うして一門の為に図つて忠なる、斯くの如し。啻に辞を低うするに止らず、一片稜々の意気止むべからずして愛子を頼朝の手に委したるが如き、赤誠の人を撼す、真に銀河の九天より落つるが如き概あり。
再云ふ彼は真に熱情の人也。実盛の北陸に死するや、彼其首級を抱いて※[#「沙」の「少」に代えて「玄」、第3水準1−86−62]然として泣けり。水島の戦に瀬尾主従の健闘して仆るゝや、彼「あつぱれ強者や。助けて見て。」と歎きたりき。陣頭剣を交ふる敵を見る尚かくの如し。彼が士卒に対して厚かりしや知るべきのみ。彼が旗下は彼が為に「死且不辞」の感激を有したりき。彼敢て人を容るゝこと光風の如き襟懐あるにあらず。敢て又、人を服せしむる麒麟の群獣に臨むが如き徳望あるにあらず。彼の群下に対する、唯意気相傾け、痛涙相流るゝところ、烈々たる熱情の直に人をして知遇の感あらしむるによるのみ。彼が旗下の桃李寥々たりしにも関らず、四郎兼平の如き、次郎兼光の如き、はた大弥太行親の如き、一死を以て彼に報じたる、是を源頼朝が源九郎を赤族し、蒲冠者を誅戮し、蔵人行家を追殺し、彼等をして高鳥尽きて良弓納めらるゝの思をなさしめたるに比すれば
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