て砕けたり。棟梁の材既になし、かくして誰か成功を百里の外に期するものぞ。見よ見よ西海の没落は刻々眉端に迫れる也。
入道相国逝いて宗盛次いで立つ。然れども彼は不肖の子なりき。彼は経世的手腕と眼孔とに於ては殆ど乃父浄海の足下にも及ぶ能はざりき。彼は興福東大両寺の荘園を還附し、宣旨を以て三十五ヶ国に諜し興福寺の修造を命ぜしめしが如き、仏に佞し僧に諛ひ、平門の威武を墜さしむる、是より大なるは非ず。彼は直覚的烱眼に於ては乃父に劣る事遠く、天下の大機を平正穏当の間に補綴し、人をして其然るを覚えずして然らしむる、活滑なる器度に於ては、重盛に及ばず。懸軍万里、計を帷幄の中にめぐらし、勝を千里の外に決する将略に於ては我義仲に比肩する能はず。しかも猶、其不学、無術を以て、天下の革命軍に対せむとす。是、赤手を以て江河を支ふるの難きよりも、難き也。泰山既に倒れ豎子台鼎の重位に上る、革命軍の意気は愈※[#二の字点、1−2−22]昂れり。しかも、此時に於て平氏に致命の打撃を与へたるは、実に其財政難なりき。平家物語の著者をして「おそらくは、帝闕も仙洞もこれにはすぎじとぞ見えし」と、驚歎せしめたる一門の栄華は、遂に平氏の命数をして、幾年の短きに迫らしめたり。夫水蹙れば魚益※[#二の字点、1−2−22]躍る。是に於て平氏は、恰も傷きたる猪の如く、無二無三に過重なる収斂を以て、此窮境を脱せむと欲したり。平氏が使者を伊勢の神三郡に遣りて、兵糧米を、充課したるが如き、はた、平貞能の九州に下りて、徭を重うし、賦を繁うし、四方の怨嗟を招きしが如き、是、平氏の財力の既に窮したるを表すものにあらずや。
ああ大絃急なれば小絃絶ゆ。さらぬだに、凶年と兵乱とに苦める天下の蒼生は、今や彼等が倒懸の苦楚に堪ふる能はず、斉しく立つて平氏を呪ひ、平氏を罵り、平氏に反き、空拳を以て彼等が軛を脱せむと試みしなり。是に於て、靄の如く天下を蔽へる蒼生は、不平の忽にして、革命軍の成功を期待するの、盛なる声援の叫となれり。しかも此危険に際して、猶諸国に命じて南都の両寺を修せしめしが如き、傘張法橋の豚犬児が、愚なる政策は、此声援をして更に幾倍の大を加へしめたり。入道相国逝いて未三歳ならず、胡馬洛陽に嘶き、天日西海に没せる、豈宜ならずとせむや。

吾人をして、再、我木曾義仲に、かへらしめよ。天下を麾いで既にルビコンを渡れる彼は、養和元年六月、越後の住人、城四郎長茂が率ゐる六万の平軍と、横田川を隔てて相対しぬ。俊才、嚢中の錐の如き彼は、直に部将井上九郎光盛をして赤旗を立てて前ましめ、彼自らは河を済り、戦鼓をうつて戦を挑み、平軍の彼が陣を衝かむとするに乗じて光盛等をして、赤旗を倒して白旗を飜し、急に敵軍を夾撃せしめて大に勝ち、遂に長茂をして越後に走らしめたり。是実に、淮陰侯が、井※[#「こざとへん+輕のつくり」、第3水準1−93−59]に成安君を破れるの妙策、錐は遂に悉く穎脱し了れる也。越えて八月、宗盛、革命軍の軍鋒、竹を破るが如きを聞き、倉皇として北陸道追討の宣旨を請ひ、中宮亮平通盛、但馬守平経正等を主将とせる征北軍を組織し、彼が奔流の如き南下を妨げしめたり。然れども、九月通盛等の軍、彼と戦つて大に敗れ、退いて敦賀の城に拒ぎしも遂に支ふる能はず、首尾断絶して軍悉く潰走し、辛くも敗滅の恥を免るゝを得たり。是に於て、革命軍の武威、遠く上野、信濃、越後、越中、能登、加賀、越前を風靡し、七州の豪傑、嘯集して其旗下に投じ、剣槊霜の如くにして介馬数万、意気堂々として已に平氏政府を呑めり。薄倖の孤児、木曾の野人、旭将軍義仲の得意や、知るべき也。北陸既に定まり、兵甲既に足る。彼は速に、遠馭長駕、江河の堤を決するが如き勢を以て京師に侵入せむと欲したり。而して大牙未南に向はざるに先だち、恰も関八州を席の如く巻き将に東海道を西進せむとしたる源兵衛佐頼朝によつて送られたる一封の書簡は、彼の征南をして止めしめたり。書に曰、
[#ここから1字下げ]
平家朝威を背き奉り、仏法を亡すによりて、源家同姓のともがらに仰せて、速に追討すべき由、院宣を下され了ンぬ。尤も夜を以て日についで、逆臣を討ちて、宸襟をやすめ奉るべきのところ、十郎蔵人私のむほんを起し、頼朝追討の企ありと聞ゆ。然るをかの人に同心して扶持し置かるゝの条、且は一門不合、且は平家のあざけりなり。但、御所存をわきまへず、もし異なること仔細なくば、速に蔵人を出さるゝか、それさもなくば、清水殿(義仲の子清水冠者義高)をこれへ渡し玉へ、父子の義をなし奉るべし。両条の内一も、承認なくンば、兵をさしつかはして、誅し奉るべし。
[#ここで字下げ終わり]
是、実に彼にとりては不慮の云ひがかりなりし也。蓋し、頼朝の彼に平ならざる所以は、啻に、頼朝と和せずして去りたる十郎蔵人行家が、彼の陣中に投じた
前へ 次へ
全18ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング