の足利、甲州の武田、上州の那和、亦相次いで翕然として来り従ひ、革命軍の軍威隆々として大に振ふ。図南の鵬翼既に成れり。是に於て、彼は戦鼓を打ち旌旗を連ね、威風堂々として、南信を出で、軍鋒の向ふ所枯朽を摧くが如く、治承四年九月五日、善光寺平の原野に、笠原平五頼直(平氏の党)を撃つて大に破り、次いで鋒を転じて上野に入り、同じき十月十三日、上野多胡の全郡を降し、上州の豪族をして、争うて其大旗の下に参集せしめたり。是実に頼朝が富士川の大勝に先だつこと十日、かくの如くにして、彼は、殆ど全信州を其掌中に収め了れり。

革命軍の飛報、頻々として櫛の歯をひくが如し。東夷西戎、並び起り、三色旗は日一日より平安の都に近づかむとす。楚歌、蓬壺をめぐつて響かむの日遠きにあらず。紅燈緑酒の間に長夜の飲を恣にしたる平氏政府も、是に至つて遂に、震駭せざる能はざりき。如何に大狼狽したるよ。平治以来、螺鈿を鏤め金銀を装ひ、時流の華奢を凝したる、馬鞍刀槍も、是唯泰平の装飾のみ。一門の子弟は皆、殿上後宮の娘子軍のみ、之を以て波濤の如く迫り来る革命軍に当らむとす、豈朽索を以て六馬を馭するに類する事なきを得むや。今や平氏政府の周章は其極点に達したり。然れ共、入道相国の剛腸は猶猛然として将に仆れむとする平氏政府を挽回せむと欲したり。彼は、東軍の南海を経て京師に向はむとするを聞き、軍を派して沿海を守らしめたり。
彼は西海北陸両道の糧馬を以て、東軍と戦はむと試みたり。彼が、困憊、衰残の政府を提げて、驀然として来り迫る革命軍に応戦したるを見る、恰も、颶風の中に立てる参天の巨樹の如き概あり。吾人思うて是に至る、遂に彼が苦衷を了せずンばあらず。関東に源兵衛佐あり、木曾に旭日将軍あり、而して京師に入道相国あり、三個の風雲児にして各※[#二の字点、1−2−22]手に唾して天下を賭す。
真に是れ、青史に多く比を見ざるの偉観也。しかも運命は飽く迄も平氏に無情なりき。平宗盛を主将とせる有力なる征東軍が羽檄を天下に伝へて、京師を発せむとするの前夜(養和元年閏二月一日)天乎命乎、入道相国は俄然として病めり。征東の軍是に期を失して発せず、越えて四日、病革りて祖竜遂に仆る。赤旗光無うして日色薄し、黄埃散漫として風徒に粛索、帯甲百万、路に満つれども往反の客、面に憂色あり。嗚呼、絶代の英雄児はかくの如くにして逝けり。平門の柱石はかくの如くにし
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