い上げました。私を囲んでいた友人たちは、これだけでも、もう荒胆《あらぎも》を挫《ひし》がれたのでしょう。皆顔を見合せながらうっかり側へ寄って火傷《やけど》でもしては大変だと、気味悪るそうにしりごみさえし始めるのです。
そこで私の方はいよいよ落着き払って、その掌の上の石炭の火を、しばらく一同の眼の前へつきつけてから、今度はそれを勢いよく寄木細工の床《ゆか》へ撒《ま》き散らしました。その途端です、窓の外に降る雨の音を圧して、もう一つ変った雨の音が俄《にわか》に床の上から起ったのは。と言うのはまっ赤な石炭の火が、私の掌《てのひら》を離れると同時に、無数の美しい金貨になって、雨のように床の上へこぼれ飛んだからなのです。
友人たちは皆夢でも見ているように、茫然と喝采《かっさい》するのさえも忘れていました。
「まずちょいとこんなものさ。」
私は得意の微笑を浮べながら、静にまた元の椅子に腰を下しました。
「こりゃ皆ほんとうの金貨かい。」
呆気《あっけ》にとられていた友人の一人が、ようやくこう私に尋《たず》ねたのは、それから五分ばかりたった後のことです。
「ほんとうの金貨さ。嘘だと思ったら、手にとって見給え。」
「まさか火傷《やけど》をするようなことはあるまいね。」
友人の一人は恐る恐る、床の上の金貨を手にとって見ましたが、
「成程こりゃほんとうの金貨だ。おい、給仕、箒《ほうき》と塵取りとを持って来て、これを皆掃き集めてくれ。」
給仕はすぐに言いつけられた通り、床の上の金貨を掃き集めて、堆《うずたか》く側のテエブルへ盛り上げました。友人たちは皆そのテエブルのまわりを囲みながら、
「ざっと二十万円くらいはありそうだね。」
「いや、もっとありそうだ。華奢《きゃしゃ》なテエブルだった日には、つぶれてしまうくらいあるじゃないか。」
「何しろ大した魔術を習ったものだ。石炭の火がすぐに金貨になるのだから。」
「これじゃ一週間とたたない内に、岩崎や三井にも負けないような金満家になってしまうだろう。」などと、口々に私の魔術を褒《ほ》めそやしました。が、私はやはり椅子《いす》によりかかったまま、悠然と葉巻の煙を吐いて、
「いや、僕の魔術というやつは、一旦欲心を起したら、二度と使うことが出来ないのだ。だからこの金貨にしても、君たちが見てしまった上は、すぐにまた元の暖炉の中へ抛《ほう》りこんでしまおうと思っている。」
友人たちは私の言葉を聞くと、言い合せたように、反対し始めました。これだけの大金を元の石炭にしてしまうのは、もったいない話だと言うのです。が、私はミスラ君に約束した手前もありますから、どうしても暖炉に抛りこむと、剛情《ごうじょう》に友人たちと争いました。すると、その友人たちの中でも、一番|狡猾《こうかつ》だという評判のあるのが、鼻の先で、せせら笑いながら、
「君はこの金貨を元の石炭にしようと言う。僕たちはまたしたくないと言う。それじゃいつまでたった所で、議論が干《ひ》ないのは当り前だろう。そこで僕が思うには、この金貨を元手にして、君が僕たちと骨牌《かるた》をするのだ。そうしてもし君が勝ったなら、石炭にするとも何にするとも、自由に君が始末するが好《い》い。が、もし僕たちが勝ったなら、金貨のまま僕たちへ渡し給え。そうすれば御互の申し分も立って、至極満足だろうじゃないか。」
それでも私はまだ首を振って、容易にその申し出しに賛成しようとはしませんでした。所がその友人は、いよいよ嘲《あざけ》るような笑《えみ》を浮べながら、私とテエブルの上の金貨とを狡《ず》るそうにじろじろ見比べて、
「君が僕たちと骨牌《かるた》をしないのは、つまりその金貨を僕たちに取られたくないと思うからだろう。それなら魔術を使うために、欲心を捨てたとか何とかいう、折角《せっかく》の君の決心も怪しくなってくる訳じゃないか。」
「いや、何も僕は、この金貨が惜しいから石炭にするのじゃない。」
「それなら骨牌《かるた》をやり給えな。」
何度もこういう押問答を繰返した後で、とうとう私はその友人の言葉通り、テエブルの上の金貨を元手《もとで》に、どうしても骨牌《かるた》を闘わせなければならない羽目《はめ》に立ち至りました。勿論友人たちは皆大喜びで、すぐにトランプを一組取り寄せると、部屋の片隅にある骨牌机《かるたづくえ》を囲みながら、まだためらい勝ちな私を早く早くと急《せ》き立てるのです。
ですから私も仕方がなく、しばらくの間は友人たちを相手に、嫌々《いやいや》骨牌《かるた》をしていました。が、どういうものか、その夜に限って、ふだんは格別|骨牌《かるた》上手でもない私が、嘘のようにどんどん勝つのです。するとまた妙なもので、始は気のりもしなかったのが、だんだん面白くなり始めて、ものの十分とたたない内に、いつか私は一切を忘れて、熱心に骨牌《かるた》を引き始めました。
友人たちは、元より私から、あの金貨を残らず捲《ま》き上げるつもりで、わざわざ骨牌《かるた》を始めたのですから、こうなると皆あせりにあせって、ほとんど血相《けっそう》さえ変るかと思うほど、夢中になって勝負を争い出しました。が、いくら友人たちが躍起となっても、私は一度も負けないばかりか、とうとうしまいには、あの金貨とほぼ同じほどの金高《きんだか》だけ、私の方が勝ってしまったじゃありませんか。するとさっきの人の悪い友人が、まるで、気違いのような勢いで、私の前に、札《ふだ》をつきつけながら、
「さあ、引き給え。僕は僕の財産をすっかり賭ける。地面も、家作《かさく》も、馬も、自働車も、一つ残らず賭けてしまう。その代り君はあの金貨のほかに、今まで君が勝った金をことごとく賭けるのだ。さあ、引き給え。」
私はこの刹那《せつな》に欲が出ました。テエブルの上に積んである、山のような金貨ばかりか、折角私が勝った金さえ、今度運悪く負けたが最後、皆相手の友人に取られてしまわなければなりません。のみならずこの勝負に勝ちさえすれば、私は向うの全財産を一度に手へ入れることが出来るのです。こんな時に使わなければどこに魔術などを教わった、苦心の甲斐《かい》があるのでしょう。そう思うと私は矢《や》も楯《たて》もたまらなくなって、そっと魔術を使いながら、決闘でもするような勢いで、
「よろしい。まず君から引き給え。」
「九《く》。」
「王様《キング》。」
私は勝ち誇った声を挙げながら、まっ蒼になった相手の眼の前へ、引き当てた札《ふだ》を出して見せました。すると不思議にもその骨牌《かるた》の王様《キング》が、まるで魂がはいったように、冠《かんむり》をかぶった頭を擡《もた》げて、ひょいと札《ふだ》の外へ体を出すと、行儀よく剣を持ったまま、にやりと気味の悪い微笑を浮べて、
「御婆サン。御婆サン。御客様ハ御帰リニナルソウダカラ、寝床ノ仕度ハシナクテモ好イヨ。」
と、聞き覚えのある声で言うのです。と思うと、どういう訳か、窓の外に降る雨脚《あまあし》までが、急にまたあの大森の竹藪にしぶくような、寂しいざんざ降《ぶ》りの音を立て始めました。
ふと気がついてあたりを見廻すと、私はまだうす暗い石油ランプの光を浴びながら、まるであの骨牌《かるた》の王様《キング》のような微笑を浮べているミスラ君と、向い合って坐っていたのです。
私が指の間に挟《はさ》んだ葉巻の灰さえ、やはり落ちずにたまっている所を見ても、私が一月ばかりたったと思ったのは、ほんの二三分の間に見た、夢だったのに違いありません。けれどもその二三分の短い間に、私がハッサン・カンの魔術の秘法を習う資格のない人間だということは、私自身にもミスラ君にも、明かになってしまったのです。私は恥しそうに頭を下げたまま、しばらくは口もきけませんでした。
「私の魔術を使おうと思ったら、まず欲を捨てなければなりません。あなたはそれだけの修業が出来ていないのです。」
ミスラ君は気の毒そうな眼つきをしながら、縁へ赤く花模様を織り出したテエブル掛の上に肘《ひじ》をついて、静にこう私をたしなめました。
[#地から1字上げ](大正八年十一月十日)
底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年12月1日第1刷発行
1996(平成8)年4月1日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月8日公開
2004年3月9日修正
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