判《おんさばき》の喇叭《らつぱ》の音が、一天の火の光をつんざいて、鳴り渡つたかと思はれるばかり、世にも身の毛のよだつものでござつた。その時、あの傘張の翁の家は、運悪う風下にあつたに由つて、見る見る焔に包れたが、さて親子|眷族《けんぞく》、慌てふためいて、逃げ出《いだ》いて見れば、娘が産んだ女の子の姿が見えぬと云ふ始末ぢや。一定《いちぢやう》、一間《ひとま》どころに寝かいて置いたを、忘れてここまで逃げのびたのであらうず。されば翁は足ずりをして罵りわめく。娘も亦、人に遮《さへぎ》られずば、火の中へも馳《は》せ入つて、助け出さう気色《けしき》に見えた。なれど風は益《ますます》加はつて、焔の舌は天上の星をも焦さうず吼《たけ》りやうぢや。それ故火を救ひに集つた町方の人々も、唯、あれよあれよと立ち騒いで、狂気のやうな娘をとり鎮めるより外に、せん方も亦あるまじい。所へひとり、多くの人を押しわけて、馳《か》けつけて参つたは、あの「いるまん」の「しめおん」でござる。これは矢玉の下もくぐつたげな、逞しい大丈夫でござれば、ありやうを見るより早く、勇んで焔の中へ向うたが、あまりの火勢に辟易《へきえき》致いたのでござらう。二三度煙をくぐつたと見る間に、背《そびら》をめぐらして、一散に逃げ出いた。して翁と娘とが佇《たたず》んだ前へ来て、「これも『でうす』万事にかなはせたまふ御計らひの一つぢや。詮ない事とあきらめられい」と申す。その時翁の傍から、誰とも知らず、高らかに「御主《おんあるじ》、助け給へ」と叫ぶものがござつた。声ざまに聞き覚えもござれば、「しめおん」が頭《かうべ》をめぐらして、その声の主をきつと見れば、いかな事、これは紛《まが》ひもない「ろおれんぞ」ぢや。清らかに痩せ細つた顔は、火の光に赤うかがやいて、風に乱れる黒髪も、肩に余るげに思はれたが、哀れにも美しい眉目《みめ》のかたちは、一目見てそれと知られた。その「ろおれんぞ」が、乞食の姿のまま、群《むらが》る人々の前に立つて、目もはなたず燃えさかる家を眺めて居る。と思うたのは、まことに瞬《またた》く間もない程ぢや。一しきり焔を煽《あふ》つて、恐しい風が吹き渡つたと見れば、「ろおれんぞ」の姿はまつしぐらに、早くも火の柱、火の壁、火の梁《うつばり》の中にはいつて居つた。「しめおん」は思はず遍身に汗を流いて、空高く「くるす」(十字)を描きながら、己も「御主、助け給へ」と叫んだが、何故かその時心の眼には、凩《こがらし》に揺るる日輪の光を浴びて、「さんた・るちや」の門に立ちきはまつた、美しく悲しげな、「ろおれんぞ」の姿が浮んだと申す。
 なれどあたりに居つた奉教人衆は、「ろおれんぞ」が健気《けなげ》な振舞に驚きながらも、破戒の昔を忘れかねたのでもござらう。忽《たちまち》兎角の批判は風に乗つて、人どよめきの上を渡つて参つた。と申すは、「さすが親子の情あひは争はれぬものと見えた。己が身の罪を恥ぢて、このあたりへは影も見せなんだ『ろおれんぞ』が、今こそ一人子の命を救はうとて、火の中へはいつたぞよ」と、誰ともなく罵りかはしたのでござる。これには翁《おきな》さへ同心と覚えて、「ろおれんぞ」の姿を眺めてからは、怪しい心の騒ぎを隠さうず為か、立ちつ居つ身を悶えて、何やら愚《おろか》しい事のみを、声高《こわだか》にひとりわめいて[#「わめいて」は底本では「わめいつて」]居つた。なれど当の娘ばかりは、狂ほしく大地に跪《ひざまづ》いて、両の手で顔をうづめながら、一心不乱に祈誓を凝《こ》らいて、身動きをする気色さへもござない。その空には火の粉が雨のやうに降りかかる。煙も地を掃《はら》つて、面《おもて》を打つた。したが娘は黙然と頭を垂れて、身も世も忘れた祈り三昧《ざんまい》でござる。
 とかうする程に、再《ふたたび》火の前に群つた人々が、一度にどつとどよめくかと見れば、髪をふり乱いた「ろおれんぞ」が、もろ手に幼子をかい抱いて、乱れとぶ焔の中から、天《あま》くだるやうに姿を現《あらは》いた。なれどその時、燃え尽きた梁《うつばり》の一つが、俄《にはか》に半ばから折れたのでござらう。凄じい音と共に、一なだれの煙焔《えんえん》が半空《なかぞら》に迸《ほとばし》つたと思ふ間もなく、「ろおれんぞ」の姿ははたと見えずなつて、跡には唯火の柱が、珊瑚の如くそば立つたばかりでござる。
 あまりの凶事に心も消えて、「しめおん」をはじめ翁まで、居あはせた程の奉教人衆は、皆目の眩《くら》む思ひがござつた。中にも娘はけたたましう泣き叫んで、一度は脛《はぎ》もあらはに躍り立つたが、やがて雷《いかづち》に打たれた人のやうに、そのまま大地にひれふしたと申す。さもあらばあれ、ひれふした娘の手には、何時かあの幼い女の子が、生死不定《しやうじふぢやう》の姿ながら、ひしと抱かれて居つたをいかにしようぞ。ああ、広大無辺なる「でうす」の御知慧《おんちゑ》、御力は、何とたたへ奉る詞《ことば》だにござない。燃え崩れる梁に打たれながら、「ろおれんぞ」が必死の力をしぼつて、こなたへ投げた幼子は、折よく娘の足もとへ、怪我もなくまろび落ちたのでござる。
 されば娘が大地にひれ伏して、嬉し涙に咽《むせ》んだ声と共に、もろ手をさしあげて立つた翁の口からは、「でうす」の御慈悲をほめ奉る声が、自らおごそかに溢れて参つた。いや、まさに溢れようずけはひであつたとも申さうか。それより先に「しめおん」は、さかまく火の嵐の中へ、「ろおれんぞ」を救はうず一念から、真一文字に躍りこんだに由つて、翁の声は再《ふたたび》気づかはしげな、いたましい祈りの言《ことば》となつて、夜空に高くあがつたのでござる。これは元より翁のみではござない。親子を囲んだ奉教人衆は、皆一同に声を揃へて、「御主、助け給へ」と、泣く泣く祈りを捧げたのぢや。して「びるぜん・まりや」の御子《みこ》、なべての人の苦しみと悲しみとを己《おの》がものの如くに見そなはす、われらが御主「ぜす・きりしと」は、遂にこの祈りを聞き入れ給うた。見られい。むごたらしう焼けただれた「ろおれんぞ」は、「しめおん」が腕に抱かれて、早くも火と煙とのただ中から、救ひ出されて参つたではないか。
 なれどその夜の大変は、これのみではござなんだ。息も絶え絶えな「ろおれんぞ」が、とりあへず奉教人衆の手に舁《か》かれて、風上にあつたあの「えけれしや」の門へ横へられた時の事ぢや。それまで幼子を胸に抱きしめて、涙にくれてゐた傘張の娘は、折から門へ出でられた伴天連の足もとに跪《ひざまづ》くと、並み居る人々の目前で、「この女子《をなご》は『ろおれんぞ』様の種ではおぢやらぬ。まことは妾が家隣の『ぜんちよ』の子と密通して、まうけた娘でおぢやるわいの」と思ひもよらぬ「こひさん」(懴悔)を仕《つかま》つた。その思ひつめた声ざまの震へと申し、その泣きぬれた双の眼のかがやきと申し、この「こひさん」には、露ばかりの偽さへ、あらうとは思はれ申さぬ。道理《ことわり》かな、肩を並べた奉教人衆は、天を焦がす猛火も忘れて、息さへつかぬやうに声を呑んだ。
 娘が涙ををさめて、申し次いだは、「妾は日頃『ろおれんぞ』様を恋ひ慕うて居つたなれど、御信心の堅固さからあまりにつれなくもてなされる故、つい怨む心も出て、腹の子を『ろおれんぞ』様の種と申し偽り、妾につらかつた口惜しさを思ひ知らさうと致いたのでおぢやる。なれど『ろおれんぞ』様のお心の気高さは、妾が大罪をも憎ませ給はいで、今宵は御身の危さをもうち忘れ、『いんへるの』(地獄)にもまがふ火焔の中から、妾娘の一命を辱《かたじけな》くも救はせ給うた。その御憐み、御計らひ、まことに御主『ぜす・きりしと』の再来かともをがまれ申す。さるにても妾が重々の極悪を思へば、この五体は忽《たちまち》『ぢやぼ』の爪にかかつて、寸々に裂かれようとも、中々怨む所はおぢやるまい。」娘は「こひさん」を致いも果てず、大地に身を投げて泣き伏した。
 二重三重《ふたへみへ》に群つた奉教人衆の間から、「まるちり」(殉教)ぢや、「まるちり」ぢやと云ふ声が、波のやうに起つたのは、丁度この時の事でござる。殊勝にも「ろおれんぞ」は、罪人を憐む心から、御主「ぜす・きりしと」の御行跡を踏んで、乞食にまで身を落いた。して父と仰ぐ伴天連も、兄とたのむ「しめおん」も、皆その心を知らなんだ。これが「まるちり」でなうて、何でござらう。
 したが、当の「ろおれんぞ」は、娘の「こひさん」を聞きながらも、僅に二三度|頷《うなづ》いて見せたばかり、髪は焼け肌は焦げて、手も足も動かぬ上に、口をきかう気色《けしき》さへも今は全く尽きたげでござる。娘の「こひさん」に胸を破つた翁と「しめおん」とは、その枕がみに蹲《うづくま》つて、何かと介抱を致いて居つたが、「ろおれんぞ」の息は、刻々に短うなつて、最期《さいご》ももはや遠くはあるまじい。唯、日頃と変らぬのは、遙に天上を仰いで居る、星のやうな瞳の色ばかりぢや。
 やがて娘の「こひさん」に耳をすまされた伴天連は、吹き荒《すさ》ぶ夜風に白ひげをなびかせながら、「さんた・るちや」の門を後にして、おごそかに申されたは、「悔い改むるものは、幸《さいはひ》ぢや。何しにその幸なものを、人間の手に罰しようぞ。これより益《ますます》、『でうす』の御戒《おんいましめ》を身にしめて、心静に末期《まつご》の御裁判《おんさばき》の日を待つたがよい。又『ろおれんぞ』がわが身の行儀を、御主『ぜす・きりしと』とひとしく奉らうず志は、この国の奉教人衆の中にあつても、類《たぐひ》稀なる徳行でござる。別して少年の身とは云ひ――」ああ、これは又何とした事でござらうぞ。ここまで申された伴天連は、俄《にはか》にはたと口を噤《つぐ》んで、あたかも「はらいそ」の光を望んだやうに、ぢつと足もとの「ろおれんぞ」の姿を見守られた。その恭《うやうや》しげな容子《ようす》はどうぢや。その両の手のふるへざまも、尋常《よのつね》の事ではござるまい。おう、伴天連のからびた頬の上には、とめどなく涙が溢れ流れるぞよ。
 見られい。「しめおん」。見られい。傘張の翁。御主「ぜす・きりしと」の御血潮よりも赤い、火の光を一身に浴びて、声もなく「さんた・るちや」の門に横はつた、いみじくも美しい少年の胸には、焦げ破れた衣《ころも》のひまから、清らかな二つの乳房が、玉のやうに露《あらは》れて居るではないか。今は焼けただれた面輪《おもわ》にも、自《おのづか》らなやさしさは、隠れようすべもあるまじい。おう、「ろおれんぞ」は女ぢや。「ろおれんぞ」は女ぢや。見られい。猛火を後にして、垣のやうに佇んでゐる奉教人衆、邪淫の戒を破つたに由つて「さんた・るちや」を逐《お》はれた「ろおれんぞ」は、傘張の娘と同じ、眼《ま》なざしのあでやかなこの国の女ぢや。
 まことにその刹那《せつな》の尊い恐しさは、あたかも「でうす」の御声が、星の光も見えぬ遠い空から、伝はつて来るやうであつたと申す。されば「さんた・るちや」の前に居並んだ奉教人衆は、風に吹かれる穂麦のやうに、誰からともなく頭を垂れて、悉《ことごとく》「ろおれんぞ」のまはりに跪《ひざまづ》いた。その中で聞えるものは、唯、空をどよもして燃えしきる、万丈の焔の響ばかりでござる。いや、誰やらの啜《すす》り泣く声も聞えたが、それは傘張の娘でござらうか。或は又自ら兄とも思うた、あの「いるまん」の「しめおん」でござらうか。やがてその寂寞《じやくまく》たるあたりをふるはせて、「ろおれんぞ」の上に高く手をかざしながら、伴天連の御経を誦《ず》せられる声が、おごそかに悲しく耳にはいつた。して御経の声がやんだ時、「ろおれんぞ」と呼ばれた、この国のうら若い女は、まだ暗い夜のあなたに、「はらいそ」の「ぐろおりや」を仰ぎ見て、安らかなほほ笑みを唇に止めたまま、静に息が絶えたのでござる。……
 その女の一生は、この外に何一つ、知られなんだげに聞き及んだ。なれどそれが、何事でござらうぞ。なべて人の世の尊さは、何ものにも換へ難い、刹那の感動に極るものぢや。暗夜の海にも譬
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