《かんどう》を受けている事、今はあぶれものの仲間にはいっている事、今夜父の家《うち》へ盗みにはいった所が、計《はか》らず甚内にめぐり合った事、なおまた父と甚内との密談も一つ残らず聞いた事、――そんな事を手短《てみじか》に話しました。が、甚内は不相変《あいかわらず》、黙然《もくねん》と口を噤《つぐ》んだまま、冷やかにわたしを見ているのです。わたしはその話をしてしまうと、一層膝を進ませながら、甚内の顔を覗《のぞ》きこみました。
「北条一家《ほうじょういっか》の蒙《こうむ》った恩は、わたしにもまたかかっています。わたしはその恩を忘れないしるしに、あなたの手下《てした》になる決心をしました。どうかわたしを使って下さい。わたしは盗みも知っています。火をつける術《すべ》も知っています。そのほか一通りの悪事だけは、人に劣《おと》らず知っています。――」
 しかし甚内は黙っています。わたしは胸を躍らせながら、いよいよ熱心に説き立てました。
「どうかわたしを使って下さい。わたしは必ず働きます。京、伏見《ふしみ》、堺《さかい》、大阪、――わたしの知らない土地はありません。わたしは一日に十五里歩きます。力も四斗俵《しとびょう》は片手に挙《あが》ります。人も二三人は殺して見ました。どうかわたしを使って下さい。わたしはあなたのためならば、どんな仕事でもして見せます。伏見の城の白孔雀《しろくじゃく》も、盗めと云えば、盗んで来ます。『さん・ふらんしすこ』の寺の鐘楼《しゅろう》も、焼けと云えば焼いて来ます。右大臣家《うだいじんけ》の姫君も、拐《かどわか》せと云えば拐して来ます。奉行の首も取れと云えば、――」
 わたしはこう云いかけた時、いきなり雪の中へ蹴倒《けたお》されました。
「莫迦《ばか》め!」
 甚内《じんない》は一声叱ったまま、元の通り歩いて行きそうにします。わたしはほとんど気違いのように法衣《ころも》の裾《すそ》へ縋《すが》りつきました。
「どうかわたしを使って下さい。わたしはどんな場合にも、きっとあなたを離れません。あなたのためには水火にも入ります。あの『えそぽ』の話の獅子王《ししおう》さえ、鼠《ねずみ》に救われるではありませんか? わたしはその鼠になります。わたしは、――」
「黙れ。甚内は貴様なぞの恩は受けぬ。」
 甚内はわたしを振り放すと、もう一度そこへ蹴倒しました。
「白癩《びゃくらい》めが! 親孝行でもしろ!」
 わたしは二度目に蹴倒された時、急に口惜《くや》しさがこみ上げて来ました。
「よし! きっと恩になるな!」
 しかし甚内は見返りもせず、さっさと雪路《ゆきみち》を急いで行きます。いつかさし始めた月の光に網代《あじろ》の笠《かさ》を仄《ほの》めかせながら、……それぎりわたしは二年の間《あいだ》、ずっと甚内を見ずにいるのです。(突然笑う)「甚内は貴様なぞの恩は受けぬ」……あの男はこう云いました。しかしわたしは夜《よ》の明け次第、甚内の代りに殺されるのです。
 ああ、おん母「まりや様!」わたしはこの二年間、甚内の恩を返したさに、どのくらい苦しんだか知れません。恩を返したさに?――いや、恩と云うよりも、むしろ恨《うらみ》を返したさにです。しかし甚内はどこにいるか? 甚内は何をしているか?――誰にそれがわかりましょう? 第一甚内はどんな男か?――それさえ知っているものはありません。わたしが遇《あ》った贋雲水《にせうんすい》は四十前後の小男です。が、柳町《やなぎまち》の廓《くるわ》にいたのは、まだ三十を越えていない、赧《あか》ら顔に鬚《ひげ》の生えた、浪人だと云うではありませんか? 歌舞伎《かぶき》の小屋を擾《さわ》がしたと云う、腰の曲った紅毛人《こうもうじん》、妙国寺《みょうこくじ》の財宝《ざいほう》を掠《かす》めたと云う、前髪の垂れた若侍、――そう云うのを皆甚内とすれば、あの男の正体《しょうたい》を見分ける事さえ、到底《とうてい》人力には及ばない筈です。そこへわたしは去年の末から、吐血《とけつ》の病に罹《かか》ってしまいました。
 どうか恨《うら》みを返してやりたい、――わたしは日毎に痩《や》せ細りながら、その事ばかりを考えていました。するとある夜わたしの心に、突然|閃《ひらめ》いた一策があります。「まりや」様! 「まりや」様! この一策を御教え下すったのは、あなたの御恵みに違いありません。ただわたしの体を捨てる、吐血《とけつ》の病に衰え果てた、骨と皮ばかりの体を捨てる、――それだけの覚悟をしさえすれば、わたしの本望は遂げられるのです。わたしはその夜《よ》嬉しさの余り、いつまでも独り笑いながら、同じ言葉を繰返していました。――「甚内の身代《みがわ》りに首を打たれる。甚内の身代りに首を打たれる。………」
 甚内の身代りに首を打たれる――何とすばらしい事ではありませんか? そうすれば勿論わたしと一しょに、甚内の罪も亡《ほろ》んでしまう。――甚内は広い日本《にっぽん》国中、どこでも大威張《おおいばり》に歩けるのです。その代り(再び笑う)――その代りわたしは一夜の内に、稀代《きだい》の大賊《たいぞく》になれるのです。呂宋助左衛門《るそんすけざえもん》の手代《てだい》だったのも、備前宰相《びぜんさいしょう》の伽羅《きゃら》を切ったのも、利休居士《りきゅうこじ》の友だちになったのも、沙室屋《しゃむろや》の珊瑚樹《さんごじゅ》を詐《かた》ったのも、伏見の城の金蔵《かねぐら》を破ったのも、八人の参河侍《みかわざむらい》を斬り倒したのも、――ありとあらゆる甚内の名誉は、ことごとくわたしに奪われるのです。(三度《さんど》笑う)云わば甚内を助けると同時に、甚内の名前を殺してしまう、一家の恩を返すと同時に、わたしの恨《うら》みも返してしまう、――このくらい愉快な返報《へんぽう》はありません。わたしがその夜《よ》嬉しさの余り、笑い続けたのも当然です。今でも、――この牢《ろう》の中でも、これが笑わずにいられるでしょうか?
 わたしはこの策を思いついた後、内裏《だいり》へ盗みにはいりました。宵闇《よいやみ》の夜《よ》の浅い内ですから、御簾《みす》越しに火影《ほかげ》がちらついたり、松の中に花だけ仄《ほの》めいたり、――そんな事も見たように覚えています。が、長い廻廊《かいろう》の屋根から、人気《ひとけ》のない庭へ飛び下りると、たちまち四五人の警護《けいご》の侍に、望みの通り搦《から》められました。その時です。わたしを組み伏せた鬚侍《ひげざむらい》は、一生懸命に縄《なわ》をかけながら、「今度こそは甚内を手捕りにしたぞ」と、呟《つぶや》いていたではありませんか? そうです。阿媽港甚内《あまかわじんない》のほかに、誰が内裏《だいり》なぞへ忍びこみましょう? わたしはこの言葉を聞くと、必死にもがいている間《あいだ》でも、思わず微笑《びしょう》を洩らしたものです。
「甚内は貴様なぞの恩にはならぬ。」――あの男はこう云いました。しかしわたしは夜《よ》の明け次第、甚内の代りに殺されるのです。何と云う気味《きみ》の好《よ》い面当《つらあ》てでしょう。わたしは首を曝《さら》されたまま、あの男の来るのを待ってやります。甚内はきっとわたしの首に、声のない哄笑《こうしょう》を感ずるでしょう。「どうだ、弥三郎《やさぶろう》の恩返しは?」――その哄笑はこう云うのです。「お前はもう甚内では無い。阿媽港甚内はこの首なのだ、あの天下に噂の高い、日本《にっぽん》第一の大盗人《おおぬすびと》は!」(笑う)ああ、わたしは愉快です。このくらい愉快に思った事は、一生にただ一度です。が、もし父の弥三右衛門《やそうえもん》に、わたしの曝《さら》し首を見られた時には、――(苦しそうに)勘忍して下さい。お父さん! 吐血の病に罹《かか》ったわたしは、たとい首を打たれずとも、三年とは命は続かないのです。どうか不孝は勘忍して下さい、わたしは極道《ごくどう》に生まれましたが、とにかく一家の恩だけは返す事が出来たのですから、………
[#地から1字上げ](大正十一年三月)



底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年1月27日第1刷発行
   1993(平成5)年12月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月19日公開
2004年3月10日修正
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