は未《いまだ》に火影《ほかげ》ばかりか、人の話し声が聞えている、そこで襖越《ふすまご》しに、覗《のぞ》いて見ると、この北条屋弥三右衛門は、甚内の命を助けた事のある、二十年以前の恩人だったと、こう云う次第ではございませんか?
なるほどそう云われて見れば、かれこれ二十年にもなりましょうか、まだわたしが阿媽港《あまかわ》通いの「ふすた」船の船頭を致していた頃、あそこへ船がかりをしている内に、髭《ひげ》さえ碌《ろく》にない日本人を一人、助けてやった事がございます。何でもその時の話では、ふとした酒の上の喧嘩《けんか》から、唐人《とうじん》を一人殺したために、追手《おって》がかかったとか申して居りました。して見ればそれが今日《こんにち》では、あの阿媽港甚内と云う、名代《なだい》の盗人《ぬすびと》になったのでございましょう。わたしはとにかく甚内の言葉も嘘ではない事がわかりましたから、一家のものの寝ているのを幸い、まずその用向きを尋ねて見ました。
すると甚内の申しますには、あの男の力に及ぶ事なら、二十年以前の恩返しに、北条屋の危急を救ってやりたい、差当《さしあた》り入用《いりよう》の金子《きんす》の高は、どのくらいだと尋ねるのでございます。わたしは思わず苦笑《くしょう》致しました。盗人に金を調達して貰う、――それが可笑《おか》しいばかりではございません。いかに阿媽港甚内でも、そう云う金があるくらいならば、何もわざわざわたしの宅へ、盗みにはいるにも当りますまい。しかしその金高《きんだか》を申しますと、甚内は小首《こくび》を傾けながら、今夜の内にはむずかしいが、三日も待てば調達しようと、無造作《むぞうさ》に引き受けたのでございます。が、何しろ入用なのは、六千貫と云う大金でございますから、きっと調達出来るかどうか、当《あ》てになるものではございません。いや、わたしの量見《りょうけん》では、まず賽《さい》の目をたのむよりも、覚束《おぼつか》ないと覚悟をきめていました。
甚内はその夜《よ》わたしの家内に、悠々と茶なぞ立てさせた上、凩《こがらし》の中を帰って行きました。が、その翌日になって見ても、約束の金は届きません。二日目も同様でございました。三日目は、――この日は雪になりましたが、やはり夜《よ》に入ってしまった後《のち》も、何一つ便りはありません。わたしは前に甚内の約束は、当にして居
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