には頭の禿《は》げたタウンゼンド氏のほかに誰もいない。しかもこの老教師は退屈まぎれに口笛《くちぶえ》を吹き吹き、一人ダンスを試みている。保吉はちょいと苦笑したまま、洗面台の前へ手を洗いに行った。その時ふと鏡《かがみ》を見ると、驚いたことにタウンゼンド氏はいつのまにか美少年に変り、保吉自身は腰の曲った白頭《はくとう》の老人に変っていた。
恥《はじ》
保吉《やすきち》は教室へ出る前に、必ず教科書の下調《したしら》べをした。それは月給を貰《もら》っているから、出たらめなことは出来ないと云う義務心によったばかりではない。教科書には学校の性質上海上用語が沢山出て来る。それをちゃんと検《しら》べて置かないと、とんでもない誤訳をやりかねない。たとえば Cat's paw と云うから、猫《ねこ》の足かと思っていれば、そよ風だったりするたぐいである。
ある時彼は二年級の生徒に、やはり航海のことを書いた、何とか云う小品《しょうひん》を教えていた。それは恐るべき悪文だった。マストに風が唸《うな》ったり、ハッチへ浪《なみ》が打ちこんだりしても、その浪なり風なりは少しも文字の上へ浮ばなかった。彼は生徒に訳読《やくどく》をさせながら、彼自身先に退屈し出した。こう云う時ほど生徒を相手に、思想問題とか時事問題とかを弁《べん》じたい興味に駆《か》られることはない。元来教師と云うものは学科以外の何ものかを教えたがるものである。道徳、趣味《しゅみ》、人生観、――何と名づけても差支《さしつか》えない。とにかく教科書や黒板よりも教師自身の心臓《しんぞう》に近い何ものかを教えたがるものである。しかし生憎《あいにく》生徒と云うものは学科以外の何ものをも教わりたがらないものである。いや、教わりたがらないのではない。絶対に教わることを嫌悪《けんお》するものである。保吉はそう信じていたから、この場合も退屈し切ったまま、訳読を進めるより仕かたなかった。
しかし生徒の訳読に一応耳を傾けた上、綿密《めんみつ》に誤《あやまり》を直したりするのは退屈しない時でさえ、かなり保吉には面倒《めんどう》だった。彼は一時間の授業時間を三十分ばかり過《すご》した後《のち》、とうとう訳読を中止させた。その代りに今度は彼自身一節ずつ読んでは訳し出した。教科書の中の航海は不相変《あいかわらず》退屈を極めていた。同時にまた彼の
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