ぜと云へば斎藤茂吉は僕の心の一角にいつか根を下してゐるからである。僕は高等学校の生徒だつた頃に偶然「赤光《しやくくわう》」の初版を読んだ。「赤光」は見る見る僕の前へ新らしい世界を顕出した。爾来《じらい》僕は茂吉と共におたまじやくしの命を愛し、浅茅の原のそよぎを愛し、青山墓地を愛し、三宅坂を愛し、午後の電燈の光を愛し、女の手の甲の静脈を愛した。かう云ふ茂吉を冷静に見るのは僕自身を冷静に見ることである。僕自身を冷静に見ることは、――いや、僕は他見を許さぬ日記をつけてゐる時さへ、必ず第三者を予想した虚栄心を抱かずにはゐられぬものである。到底行路の人を見るやうに僕自身を見ることなどの出来る筈はない。
僕の詩歌に対する眼は誰のお世話になつたのでもない。斎藤茂吉にあけて貰つたのである。もう今では十数年以前、戸山の原に近い借家の二階に「赤光」の一巻を読まなかつたとすれば、僕は未だに耳木兎《みみづく》のやうに、大いなる詩歌の日の光をかい間見ることさへ出来なかつたであらう。ハイネ、ヴエルレエン、ホイツトマン、――さう云ふ紅毛の詩人の詩を手あたり次第読んだのもその頃である。が、僕の語学の素養は彼等の内陣へ踏み入るには勿論浅薄を免れなかつた。のみならず僕に上田敏と厨川白村とを一丸にした語学の素養を与へたとしても、果して彼等の血肉を啖《くら》ひ得たかどうかは疑問である。(僕は今もなほ彼等の詩の音楽的効果を理解出来ない。稀に理解したと思ふのさへ、指を折つて見れば十行位である。)この故に当時彼等の詩を全然読まずにゐたとしても、必しも後悔はしなかつたであらう。けれども万一何かの機会に「赤光」の一巻をも読まなかつたとすれば、――これも実は考へて見れば、案外後悔はしなかつたかも知れない。その代りに幸福なる批評家のやうに、彼自身の色盲には頓着せず、「歌は到底文壇の中心的勢力にはなり得ない」などと高を括《くく》つてゐたことは確かである。
且又《かつまた》茂吉は詩歌に対する眼をあけてくれたばかりではない。あらゆる文芸上の形式美に対する眼をあける手伝ひもしてくれたのである。眼を?――或は耳をとも云はれぬことはない。僕はこの耳を得なかつたとすれば、「無精さやかき起されし春の雨」の音にも無関心に通り過ぎたであらう。が、差当り恩になつたものは眼でも耳でも差支へない。兎に角僕は現在でもこの眼に万葉集を見てゐるの
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