でゐる。桃太郎もやはり長命であらう。もし長命であるとすれば、暮色蒼茫たる鬼が島の渚に寂しい鬼の五六匹、隠れ蓑や隠れ笠のあつた祖国の昔を嘆ずるものも、――しかし僕は日本政府の植民政策を論ずる前に岩見重太郎を論じなければならぬ。
前に述べた所を繰り返せば、岩見重太郎は古人はもとより、今人よりも生命に富んだ、軽蔑すべからざる人間である。成程豊臣秀吉は岩見重太郎に比べても、少しも遜色《そんしよく》はないかも知れない。けれどもそれは明らかに絵本太閤記の主人公たる伝説的人物の力である。さもなければ同じ歴史の舞台に大芝居を打つた徳川家康もやはり豊臣秀吉のやうに光彩を放つてゐなければならぬ。且又今人も無邪気なる英雄崇拝の的になるものは大抵彼等の頭の上に架空の円光を頂いてゐる。広い世の中には古往今来、かう云ふ円光の製造業者も少からぬことは云ふを待たない。たとへばロマン・ロオラン伝を書いた、善良なるステフアン・ツワイグは正に彼等を代表するものである。
僕の岩見重太郎に軽蔑を感ずるのは事実である。重太郎も国粋会の壮士のやうに思索などは余りしなかつたらしい。たとへば可憐なる妹お辻の牢内に命を落した後、やつと破牢にとりかかつたり、妙に夢知らせを信用したり、大事の讐打《かたきう》ちを控へてゐる癖に、狒退治《ひひたいぢ》や大蛇退治《おろちたいぢ》に力瘤を入れたり、いつも無分別の真似ばかりしてゐる。その点は菊池寛の為に翻弄されるのもやむを得ない。けれども岩見重太郎は如何なる悪徳をも償ふ位、大いなる美徳を持ち合せてゐる。いや、必しも美徳ではない。寧ろ善悪の彼岸に立つた唯一無二の特色である。岩見重太郎は人間以上に強い。(勿論重太郎の同類たる一群の豪傑は例外である。)重太郎の憤怒《ふんぬ》を発するや、太い牢格子も苧殻《をがら》のやうに忽ち二つにへし折れてしまふ。狒や大蛇も一撃のもとにあへない最期を遂げる外はない。千曳《ちびき》の大岩を転がすなどは朝飯前の仕事である。由良が浜の沖の海賊は千人ばかり一時に俘《とりこ》になつた。天の橋立の讐打ちの時には二千五百人の大軍を斬り崩してゐる。兎に角重太郎の強いことは天下無敵と云はなければならぬ。かう云ふ強勇はそれ自身我々末世の衆生の心に大歓喜を与へる特色である。
小心なる精神的宦官は何とでも非難を加へるが好い。天つ神の鋒《ほこ》から滴る潮の大和島根《やまとしま
前へ
次へ
全22ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング