かる瀟洒とした先生が何冊も翻訳したと言ふことは――平田先生には或は失礼かも知れない、けれども正直に白状すれば、確に僕は今更のやうに、人は見かけによらぬものだと思つた。
 これだけの翻訳をすることは勿論容易ならぬ仕事である。殊に平田先生のやうに真剣に翻訳することは愈《いよいよ》容易ならぬ仕事である。僕の信ずる所によれば、我々日本人は日本語の中にも無数の英語を用ひてゐる癖に存外|英吉利《イギリス》文芸に親しんでゐない。なぜ又親しんでゐないかと言へば、一つは英語の普及してゐる為に却て英吉利文芸を軽視することであり、もう一つは又不幸にも英吉利は丁度前世紀末の文芸的中心にならなかつた為に自然と英吉利文芸を等閑に附し易いことである。しかし前世紀末の英吉利文芸は必ずしも光彩に乏しい訣ではない。ペエタアの如き、ワイルドの如き、シヨウの如き、ムウアの如き、幾多の才人が輩出してゐる。のみならずたまたま前世紀末の文芸的中心ではなかつたにもしろ、その為にヴイクトリア王朝を始め、歴代の英吉利文芸を顧みないのは余りに手軽すぎると言はなければならぬ。現に一デイケンズを以てしても、その澎湃たる人道的精神の影響はトルス
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