割烹《かっぽう》をやったり、妹の使うオルガンを弾《ひ》いたり、一度読んだ本を読み返したり、家《うち》にばかりぼんやり暮らしているの。まああなたの言葉を借りればアンニュイそれ自身のような生活だわね。
「それだけならばまだ好《い》いでしょう。そこへまた時々|親戚《しんせき》などから結婚問題を持って来るのよ。やれ県会議員の長男だとか、やれ鉱山《やま》持ちの甥《おい》だとか、写真ばかりももう十枚ばかり見たわ。そうそう、その中には東京に出ている中川の息子の写真もあってよ。いつかあなたに教えて上げたでしょう。あのカフェの女給《じょきゅう》か何かと大学の中を歩いていた、――あいつも秀才で通《とお》っているのよ。好《い》い加減《かげん》人を莫迦《ばか》にしているじゃないの? だからあたしはそう云ってやるのよ。『あたしも結婚しないとは云いません。けれども結婚する時には誰の評価を信頼するよりも先にあたし自身の評価を信頼します。その代りに将来の幸不幸はあたし一人責任を負いますから』って。
「けれどももう来年になれば、弟も商大を卒業するし、妹も女学校の四年になるでしょう。それやこれやを考えて見ると、あたし一人結婚しないってことはどうもちょっとむずかしいらしいの。東京じゃそんなことは何でもないのね。それをこの市《まち》じゃ理解もなしに、さも弟だの妹だのの結婚を邪魔《じゃま》でもするために片づかずにいるように考えるんでしょう。そう云う悪口《わるくち》を云われるのはずいぶんあなた、たまらないものよ。
「そりゃあたしはあなたのようにピアノを教えることも出来ないんだし、いずれは結婚するほかに仕かたのないことも知っているわ。けれどもどう云う男とでも結婚する訣《わけ》には行《ゆ》かないじゃないの? それをこの市じゃ何かと云うと、『理想の高い』せいにしてしまうのよ。『理想の高い』! 理想って言葉にさえ気の毒だわね。この市じゃ夫の候補者《こうほしゃ》のほかには理想って言葉を使わないんですもの。そのまた候補者の御立派《ごりっぱ》なことったら! そりゃあなたに見せたいくらいよ。ちょっと一例を挙げて見ましょうか? 県会議員の長男は銀行か何かへ出ているのよ。それが大《だい》のピュリタンなの。ピュリタンなのは好《い》いけれども、お屠蘇《とそ》も碌《ろく》に飲めない癖に、禁酒会の幹事をしているんですって。もともと下戸《
前へ
次へ
全6ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング