と言つても善い。正宗白鳥氏の厭世主義は武者小路実篤氏の楽天主義と好箇の対照を作つてゐる。のみならず殆ど道徳的である。徳田氏の世界も暗いものかも知れない。しかしそれは小宇宙である。久米正雄氏の「徳田水《とくだすゐ》」と呼んだ東洋詩的情緒のある小宇宙である。そこにはたとひ娑婆苦《しやばく》はあつても、地獄の業火《ごふくわ》は燃えてゐない。けれども正宗氏はこの地面の下に必ず地獄を覗《のぞ》かせてゐる。僕は確か一昨年の夏、正宗氏の作品を集めた本を手当り次第に読破して行つた。人生の表裏を知つてゐることは正宗氏も徳田氏に劣らないかも知れない。しかし僕の受けた感銘は――少くとも僕の受けた感銘中、最も僕に迫つたものは中世紀から僕等を動かしてゐた宗教的情緒に近いものである。
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我を過ぎて汝は歎きの市《まち》に入り
我を過ぎて汝は永遠の苦しみに入る。……
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(追記。この後二三日を経て正宗氏の「ダンテに就いて」を読んだ。感慨少からず。)

     十 厭世主義

 正宗白鳥氏の教へる所によれば、人生はいつも暗澹《あんたん》としてゐる。正宗氏はこの事実を教へる為に種々雑多の「話」を作つた。(尤も同氏の作品中には「話」らしい話のない小説も少くない。)しかもその「話」を運ぶ為にも種々雑多のテクニイクを用ひてゐる。才人の名はかう云ふ点でも当然正宗氏の上に与へらるべきであらう。しかし僕の言ひたいのは同氏の厭世主義的人生観である。
 僕も亦正宗氏のやうに如何なる社会組織のもとにあつても、我々人間の苦しみは救ひ難いものと信じてゐる。あの古代のパンの神に似たアナトオル・フランスのユウトピア(「白い石の上で」)さへ仏陀《ぶつだ》の夢みた寂光土《じやくくわうど》ではない。生老《しやうらう》病死は哀別離苦と共に必ず僕等を苦しめるであらう。僕は確か去年の秋、ダスタエフスキイの子供か孫かの餓死した電報を読んだ時、特にかう思はずにはゐられなかつた。これは勿論コムミユニスト治下のロシアにあつた話である。しかしアナアキストの世界となつても、畢竟《ひつきやう》我々人間は我々人間であることにより、到底幸福に終始することは出来ない。
 けれども「金《かね》が仇《かたき》」とは封建時代以来の名言である。金の為に起る悲劇や喜劇は社会組織の変化と共に必ず多少は減ずるであらう。いや、僕等の精神的生活も幾分か変化を受ける筈である。若しかう云ふ点を力説すれば、我々人間の将来は或は明るいと言はれるであらう。しかし又金の為に起らずにゐる[#「起らずにゐる」に傍点]悲劇や喜劇もない訣ではない。のみならず金は必しも我々人間を飜弄《ほんろう》する唯一の力ではないのである。
 正宗白鳥氏がプロレタリアの作家たちと立ち場を異にするのは当然である。僕も亦、――僕は或は便宜上のコムミユニストか何かに変るかも知れない。が、本質的にはどこまで行つても、畢竟ジヤアナリスト兼詩人である。文芸上の作品もいつかは滅びるのに違ひない。現に僕の耳学問によれば、フランス語のリエゾンさへ失はれつつある以上、ボオドレエルの詩の響もおのづから明日《みやうにち》異るであらう。(尤もそんなことはどうなつても我々日本人には差支へない。)しかし一行の詩の生命は僕等の生命よりも長いのである。僕は今日も亦明日のやうに「怠惰なる日の怠惰なる詩人」、――一人の夢想家であることを恥としない。

     十一 半ば忘れられた作家たち

 僕等は少くとも銭のやうに必ず両面を具へてゐる。両面以上を具へてゐることも勿論決して稀ではない。紅毛人の作り出した「芸術家として又人として」はこの両面を示すものである。「人として」失敗したと共に「芸術家として」成功したものは盗人兼詩人だつたフランソア・ヴイヨンにまさるものはない。「ハムレツト」の悲劇もゲエテによれば、思想家たるべきハムレツトが父の仇《かたき》を打たなければならぬ王子だつた悲劇である。これも亦或は両面の剋《こく》し合つた悲劇と言はれるであらう。僕等の日本は歴史上にもかう云ふ人物を持ち合せてゐる。征夷《せいい》大将軍源|実朝《さねとも》は政治家としては失敗した。しかし「金槐集《きんくわいしふ》」の歌人源実朝は芸術家としては立派に成功してゐる。が、「人として」――或は何としてでも失敗したにしろ、芸術家としても成功しないことは更に悲劇的であると言はなければならぬ。
 しかし芸術家として成功したかどうかは容易に決定出来るものではない。現にラムボオを嗤《わら》つたフランスは今日ではラムボオに敬礼し出した。が、たとひ誤植だらけにもしろ、三冊(?)の著書のあつたことはラムボオの為には仕合せである。若し著書もなかつたとしたならば、……
 僕は僕の先輩や知人に二三の好短篇を書きなが
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