き》れたやうな一瞥《いちべつ》を明子の後姿に浴せかけた。それから何故か思ひついたやうに、白い襟飾《ネクタイ》へ手をやつて見て、又菊の中を忙しく玄関の方へ下りて行つた。
二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬鬚《ほほひげ》を蓄へた主人役の伯爵が、胸間に幾つかの勲章を帯びて、路易《ルイ》十五世式の装ひを凝《こ》らした年上の伯爵夫人と一しよに、大様《おほやう》に客を迎へてゐた。明子はこの伯爵でさへ、彼女の姿を見た時には、その老獪《らうくあい》らしい顔の何処かに、一瞬間無邪気な驚嘆の色が去来したのを見のがさなかつた。人の好い明子の父親は、嬉しさうな微笑を浮べながら、伯爵とその夫人とへ手短《てみじか》に娘を紹介した。彼女は羞恥《しうち》と得意とを交《かは》る交《がは》る味つた。が、その暇にも権高《けんだか》な伯爵夫人の顔だちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があつた。
舞踏室の中にも至る所に、菊の花が美しく咲き乱れてゐた。さうして又至る所に、相手を待つてゐる婦人たちのレエスや花や象牙の扇が、爽かな香水の匂の中に、音のない波の如く動いてゐた。明子はすぐに父親と分れて、
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