の墓地へ歩いて行った。
 大銀杏《おおいちょう》の葉の落ち尽した墓地は不相変《あいかわらず》きょうもひっそりしていた。幅の広い中央の砂利道にも墓参りの人さえ見えなかった。僕はK君の先に立ったまま、右側の小みちへ曲って行った。小みちは要冬青《かなめもち》の生け垣や赤※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]《あかさび》のふいた鉄柵《てつさく》の中に大小の墓を並べていた。が、いくら先へ行っても、先生のお墓は見当らなかった。
「もう一つ先の道じゃありませんか?」
「そうだったかも知れませんね。」
 僕はその小みちを引き返しながら、毎年十二月九日には新年号の仕事に追われる為、滅多に先生のお墓参りをしなかったことを思い出した。しかし何度か来ないにしても、お墓の所在のわからないことは僕自身にも信じられなかった。
 その次の稍《やや》広い小みちもお墓のないことは同じだった。僕等は今度は引き返す代りに生け垣の間を左へ曲った。けれどもお墓は見当らなかった。のみならず僕の見覚えていた幾つかの空き地さえ見当らなかった。
「聞いて見る人もなし、………困りましたね。」
 僕はこう言うK君の言葉にはっきり冷笑に近いものを感じた。しかし教えると言った手前、腹を立てる訣《わけ》にも行かなかった。
 僕等はやむを得ず大銀杏を目当てにもう一度横みちへはいって行った。が、そこにもお墓はなかった。僕は勿論《もちろん》苛《い》ら苛《い》らして来た。しかしその底に潜んでいるのは妙に侘《わび》しい心もちだった。僕はいつか外套の下に僕自身の体温を感じながら、前にもこう言う心もちを知っていたことを思い出した。それは僕の少年時代に或餓鬼大将にいじめられ、しかも泣かずに我慢して家《うち》へ帰った時の心もちだった。
 何度も同じ小みちに出入した後、僕は古樒《ふるしきみ》を焚《た》いていた墓地掃除の女に途《みち》を教わり、大きい先生のお墓の前へやっとK君をつれて行った。
 お墓はこの前に見た時よりもずっと古びを加えていた。おまけにお墓のまわりの土もずっと霜に荒されていた。それは九日に手向けたらしい寒菊や南天の束の外に何か親しみの持てないものだった。K君はわざわざ外套を脱ぎ、丁寧にお墓へお時宜《じぎ》をした。しかし僕はどう考えても、今更|恬然《てんぜん》とK君と一しょにお時宜をする勇気は出悪《でにく》かった。
「もう何年になりますかね?」
「丁度九年になる訣です。」
 僕等はそんな話をしながら、護国寺前の終点へ引き返して行った。
 僕はK君と一しょに電車に乗り、僕だけ一人富士前で下りた。それから東洋文庫にいる或友だちを尋ねた後、日の暮に動坂へ帰り着いた。
 動坂の往来は時刻がらだけに前よりも一層混雑していた。が、庚申堂《こうしんどう》を通り過ぎると、人通りもだんだん減りはじめた。僕は受け身になりきったまま、爪先ばかり見るように風立った路を歩いて行った。
 すると墓地裏の八幡坂の下に箱車を引いた男が一人、楫棒《かじぼう》に手をかけて休んでいた。箱車はちょっと眺めた所、肉屋の車に近いものだった。が、側《そば》へ寄って見ると、横に広いあと口に東京|胞衣《えな》会社と書いたものだった。僕は後《うしろ》から声をかけた後、ぐんぐんその車を押してやった。それは多少押してやるのに穢《きたな》い気もしたのに違いなかった。しかし力を出すだけでも助かる気もしたのに違いなかった。
 北風は長い坂の上から時々まっ直《すぐ》に吹き下ろして来た。墓地の樹木もその度にさあっと葉の落ちた梢《こずえ》を鳴らした。僕はこう言う薄暗がりの中に妙な興奮を感じながら、まるで僕自身と闘うように一心に箱車を押しつづけて行った。………



底本:「昭和文学全集 第1巻」小学館
   1987(昭和62)年5月1日初版第1刷発行
親本:岩波書店刊「芥川龍之介全集」
   1977(昭和52)年〜1978(昭和53)年
入力:j.utiyama
校正:野口英司
1998年10月6日公開
2004年3月14日修正
青空文庫作成ファイル:
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