りますかね?」
「丁度九年になる訣です。」
僕等はそんな話をしながら、護国寺前の終点へ引き返して行った。
僕はK君と一しょに電車に乗り、僕だけ一人富士前で下りた。それから東洋文庫にいる或友だちを尋ねた後、日の暮に動坂へ帰り着いた。
動坂の往来は時刻がらだけに前よりも一層混雑していた。が、庚申堂《こうしんどう》を通り過ぎると、人通りもだんだん減りはじめた。僕は受け身になりきったまま、爪先ばかり見るように風立った路を歩いて行った。
すると墓地裏の八幡坂の下に箱車を引いた男が一人、楫棒《かじぼう》に手をかけて休んでいた。箱車はちょっと眺めた所、肉屋の車に近いものだった。が、側《そば》へ寄って見ると、横に広いあと口に東京|胞衣《えな》会社と書いたものだった。僕は後《うしろ》から声をかけた後、ぐんぐんその車を押してやった。それは多少押してやるのに穢《きたな》い気もしたのに違いなかった。しかし力を出すだけでも助かる気もしたのに違いなかった。
北風は長い坂の上から時々まっ直《すぐ》に吹き下ろして来た。墓地の樹木もその度にさあっと葉の落ちた梢《こずえ》を鳴らした。僕はこう言う薄暗がりの中に妙な興奮を感じながら、まるで僕自身と闘うように一心に箱車を押しつづけて行った。………
底本:「昭和文学全集 第1巻」小学館
1987(昭和62)年5月1日初版第1刷発行
親本:岩波書店刊「芥川龍之介全集」
1977(昭和52)年〜1978(昭和53)年
入力:j.utiyama
校正:野口英司
1998年10月6日公開
2004年3月14日修正
青空文庫作成ファイル:
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