、》に罹《かか》って死んでしまった。)僕等は明るい瑠璃燈《るりとう》の下《した》にウヰスキイ炭酸《たんさん》を前にしたまま、左右のテエブルに群《むらが》った大勢《おおぜい》の男女《なんにょ》を眺めていた。彼等は二三人の支那人《シナじん》を除けば、大抵は亜米利加《アメリカ》人か露西亜《ロシア》人だった。が、その中に青磁色《せいじいろ》のガウンをひっかけた女が一人、誰よりも興奮してしゃべっていた。彼女は体こそ痩《や》せていたものの、誰よりも美しい顔をしていた。僕は彼女の顔を見た時、砧手《きぬたで》のギヤマンを思い出した。実際また彼女は美しいと云っても、どこか病的だったのに違いなかった。
「何《なん》だい、あの女は?」
「あれか? あれは仏蘭西《フランス》の……まあ、女優と云うんだろう。ニニイと云う名で通《とお》っているがね。――それよりもあの爺《じい》さんを見ろよ。」
「あの爺さん」は僕等の隣《となり》に両手に赤葡萄酒《あかぶどうしゅ》の杯《さかずき》を暖め、バンドの調子に合せては絶えず頭を動かしていた。それは満足そのものと云っても、少しも差支《さしつか》えない姿だった。僕は熱帯植物の中からしっきりなしに吹きつけて来るジャッズにはかなり興味を感じた。しかし勿論幸福らしい老人などには興味を感じなかった。
「あの爺さんは猶太《ユダヤ》人だがね。上海《シャンハイ》にかれこれ三十年住んでいる。あんな奴は一体どう云う量見《りょうけん》なんだろう?」
「どう云う量見でも善《い》いじゃないか?」
「いや、決して善《よ》くはないよ。僕などはもう支那に飽き飽きしている。」
「支那にじゃない。上海《シャンハイ》にだろう。」
「支那にさ。北京《ペキン》にもしばらく滞在したことがある。……」
 僕はこう云う彼の不平をひやかさない訣《わけ》には行《ゆ》かなかった。
「支那もだんだん亜米利加《アメリカ》化するかね?」
 彼は肩を聳《そびや》かし、しばらくは何《なん》とも言わなかった。僕は後悔《こうかい》に近いものを感じた。のみならず気まずさを紛《まぎ》らすために何か言わなければならぬことも感じた。
「じゃどこに住みたいんだ?」
「どこに住んでも、――ずいぶんまた方々に住んで見たんだがね。僕が今住んで見たいと思うのはソヴィエット治下《ちか》の露西亜《ロシア》ばかりだ。」
「それならば露西亜へ行けば好
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