体どうしたんでしょう?」
「何が?」
「Tのことよ。お父さんのこと。」
「それはTさんの身になって見れば、いろいろ事情もあったろうしさ。」
「そうでしょうか?」
 僕はいつか苛立たしさを感じ、従姉に後ろを向けたまま、窓の前へ歩いて行った。窓の下の人々は不相変《あいかわらず》万歳の声を挙げていた。それはまた「万歳、万歳」と三度繰り返して唱《とな》えるものだった。従兄の弟は玄関の前へ出、手ん手に提灯《ちょうちん》をさし上げた大勢《おおぜい》の人々にお時宜《じぎ》をしていた。のみならず彼の左右には小さい従兄の娘たちも二人、彼に手をひかれたまま、時々取ってつけたようにちょっとお下《さ》げの頭を下げたりしていた。………
 それからもう何年かたった、ある寒さの厳しい夜、僕は従兄の家の茶の間《ま》に近頃始めた薄荷《はっか》パイプを啣《くわ》え、従姉と差し向いに話していた。初七日《しょなのか》を越した家の中は気味の悪いほどもの静かだった。従兄の白木《しらき》の位牌《いはい》の前には燈心《とうしん》が一本火を澄ましていた。そのまた位牌を据えた机の前には娘たちが二人|夜着《よぎ》をかぶっていた。僕はめっきり年をとった従姉の顔を眺めながら、ふとあの僕を苦しめた一日の出来事を思い出した。しかし僕の口に出したのはこう云う当り前の言葉だけだった。
「薄荷《はっか》パイプを吸っていると、余計寒さも身にしみるようだね。」
「そうお、あたしも手足が冷《ひ》えてね。」
 従姉は余り気のないように長火鉢の炭などを直していた。………
[#地から1字上げ](昭和二年六月四日)



底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年3月24日第1刷発行
   1993(平成5)年2月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:もりみつじゅんじ
1999年3月1日公開
2004年3月7日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング