耳を抑へて、一枚岩の上へひれ伏しました。が、すぐに眼を開いて見ると、空は以前の通り晴れ渡つて、向うに聳《そび》えた山山の上にも、茶碗程の北斗の星が、やはりきらきら輝いてゐます。して見れば今の大あらしも、あの虎や白蛇と同じやうに、鉄冠子《てつくわんし》の留守をつけこんだ、魔性の悪戯《いたづら》に違ひありません。杜子春は漸《やうや》く安心して、額の冷汗を拭ひながら、又岩の上に坐り直しました。
が、そのため息がまだ消えない内に、今度は彼の坐つてゐる前へ、金の鎧《よろひ》を着下《きくだ》した、身の丈三丈もあらうといふ、厳かな神将が現れました。神将は手に三叉《みつまた》の戟《ほこ》を持つてゐましたが、いきなりその戟の切先を杜子春の胸もとへ向けながら、眼を嗔《いか》らせて叱りつけるのを聞けば、
「こら、その方は一体何物だ。この峨眉山といふ山は、天地|開闢《かいびやく》の昔から、おれが住居《すまひ》をしてゐる所だぞ。それも憚《はばか》らずたつた一人、ここへ足を踏み入れるとは、よもや唯の人間ではあるまい。さあ命が惜しかつたら、一刻も早く返答しろ。」と言ふのです。
しかし杜子春は老人の言葉通り、黙然
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