ぱいの――」
老人がここまで言ひかけると、杜子春は急に手を挙げて、その言葉を遮《さへぎ》りました。
「いや、お金はもう入らないのです。」
「金はもう入らない? ははあ、では贅沢をするにはとうとう飽きてしまつたと見えるな。」
老人は審《いぶか》しさうな眼つきをしながら、ぢつと杜子春の顔を見つめました。
「何、贅沢に飽きたのぢやありません。人間といふものに愛想がつきたのです。」
杜子春は不平さうな顔をしながら、突慳貪《つつけんどん》にかう言ひました。
「それは面白いな。どうして又人間に愛想が尽きたのだ?」
「人間は皆薄情です。私が大金持になつた時には、世辞も追従《つゐしよう》もしますけれど、一旦貧乏になつて御覧なさい。柔《やさ》しい顔さへもして見せはしません。そんなことを考へると、たとひもう一度大金持になつた所が、何にもならないやうな気がするのです。」
老人は杜子春の言葉を聞くと、急ににやにや笑ひ出しました。
「さうか。いや、お前は若い者に似合はず、感心に物のわかる男だ。ではこれからは貧乏をしても、安らかに暮して行くつもりか。」
杜子春はちよいとためらひました。が、すぐに思ひ切つた眼を挙げると、訴へるやうに老人の顔を見ながら、
「それも今の私には出来ません。ですから私はあなたの弟子になつて、仙術の修業をしたいと思ふのです。いいえ、隠してはいけません。あなたは道徳の高い仙人でせう。仙人でなければ、一夜の内に私を天下第一の大金持にすることは出来ない筈です。どうか私の先生になつて、不思議な仙術を教へて下さい。」
老人は眉をひそめた儘、暫くは黙つて、何事か考へてゐるやうでしたが、やがて又につこり笑ひながら、
「いかにもおれは峨眉山《がびさん》に棲《す》んでゐる、鉄冠子《てつくわんし》といふ仙人だ。始めお前の顔を見た時、どこか物わかりが好ささうだつたから、二度まで大金持にしてやつたのだが、それ程仙人になりたければ、おれの弟子にとり立ててやらう。」と、快く願を容《い》れてくれました。
杜子春は喜んだの、喜ばないのではありません。老人の言葉がまだ終らない内に、彼は大地に額をつけて、何度も鉄冠子に御時宜《おじぎ》をしました。
「いや、さう御礼などは言つて貰ふまい。いくらおれの弟子にした所で、立派な仙人になれるかなれないかは、お前次第できまることだからな。――が、兎も角もま
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